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9月20日(水)晴  刈谷田川第二の教訓はどう生かされたか

おとといのブログを見てさっそくメールをくれた方がいた。
「刈谷田川治水にとって200m3/sのピークカットは、利根川治水における渡良瀬遊水地にも匹敵するものと思いました。渡良瀬遊水地が純然たる治水計画の中から生まれたものでないことを勘案すれば、治水思想という点ではしのいでいるといっても過言ではないと感じます。特に、今のご時世でこれをやるということは、通常の遊水地計画とは明らかに一線を画していると思います。膠着化している河川行政をブレークスルーするための試金石となりえるのではないでしょか。」

新潟県の河川技術者のみなさん。刈谷田川遊水地はやはり注目されていますよ。自信をもってがんばってください。

さて、黄金色の稲穂が広がる広大な遊水地を見たあと、訪れたのは中之島町の破堤現場である。
「同じ越水でも破堤箇所の被害は深刻です。あふれても壊れない堤防が急務ですね。」
ぼくの質問に,案内してくれた県の職員は「あふれても壊れない堤防は事業目標にはなりません」と答えた。ぼくは思わず首をかしげ,パンフレットを見た。

9月20日(水)晴  刈谷田川第二の教訓はどう生かされたか_b0050788_114617.jpgたしかに「7.13水害規模の洪水を安全に流下できるようにすることを目標とします」と書いてある。
そうか。これは、①遊水地で水を貯めて下流への流量を減らし②河川敷を掘削し河道を直線化して川の容積を増やす、という事業なのだ。あふれるのに備え堤防対策をする事業ではないのだ。再び7.13と同じ洪水が来たときには、今度こそあふれないようにする、というのが目標なのである。だからそれ以上の洪水は想定しない。

「結局それではいたちごっこじゃないですか」

と言いかけて、ぼくは言葉を飲み込んだ。彼らは、すべてわかっているのではないか、と思ったからである。
未曾有の超過洪水だった7.13水害から学ぶべきことは、1993年ミシシッピー川大洪水におけるアメリカがそうであり、2002年エルベ川大洪水におけるドイツがそうであったように、洪水対策の基本を「減災」路線へ転換させ、氾濫原管理を導入する、絶好の機会だということではなかったのか。だからこそ、県は中流で広大な遊水地を確保し、あふれる治水へ第一歩を踏み出した。ならば、密集地を抱える下流域では、まずは超過洪水でも壊れない堤防へ力を注ぐべきではなかったのか。

現場の技術者はわかっている?わかっているならなぜできないのだろう。再びパンフレットを読み直して気が付いた。その原因は事業予算の仕組みにあるのではないか。刈谷田川の事業は、災害復旧制度で行われているため「原型復旧」と「その改良」という範囲でしか事業化が認められず、それが大きな制約となっているのではないか、という疑問である。

災害復旧制度の仕組みはこうだ。単なる「災害復旧事業」であれば被災施設の原形復旧工事をおこなうだけだが、原型復旧だけでは再度の災害発生を防げない場合には「災害復旧助成事業(助成事業)」という改良事業をおこない、その結果下流で流量が増えるのに対応するためには「河川災害復旧等関連緊急事業(復緊事業)」という改良事業をおこなう。刈谷田川の事業はこの助成と復緊の二事業約500億円なのである。

下流で流量が増えるのを「改良」としている点に注目してほしい。この矛盾こそ河道主義治水の宿命なのであり,だから今回新潟県が、逆に、この助成事業を使い、遊水地を作って、下流の流量を減らすという「本来の改良」をおこなったのは見事というほかはない。
もし続けて下流部であふれても壊れない堤防づくりが始まっていれば、日本の治水史上の記念碑となったに違いない。だが洪水を河道に集めるのを「改良」とみる治水観からは、ついに「あふれても壊れない堤防」は「改良」とは認められなかったのであろう。国交省の石頭がまことに残念である。
by himenom | 2006-09-21 01:08
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