先週末,大阪で辺見庸の講演を聞いた。中之島公会堂は満席で,30分ほど遅れていったぼくは,3階のスクリーン会場のさらにうしろの方のパイプいすに座った。辺見庸はぼそぼそとしゃべっていた。演台に左肱をついて,いつもの帽子をかぶり,ずっとうつむいてしゃべっていた。もともとしゃべりはそれほどでもないと聞いていた。それに脳出血で半身が不自由,さらにガンを病んでいる。無理もないよなと思った。両耳をスクリーンに集中した。
「あなたはどこからきたのか」と彼は言っていた。いまこの問いに答えられる日本人がいるだろうか。と続けた。彼はファシズムの話をしようとしていたのだった。 中国山西省で旧日本軍の生体実験の話。生きながら手足を切断され,内臓を摘出される生体実験。おびえて手術台から遠い部屋の隅っこにあとずさりする中国青年に若い日本人看護婦が声をかける。 「麻酔するから大丈夫よ」 そのひとことで彼はついに覚悟を決める。手術台のまわりをとりまくたくさんの軍医たちに娘はぺろりと舌を出した。教養あるりっぱな軍医たち。彼らに殺人の意識はない。そこにあるのはただのルーティンだから。屠殺なのだから。 辺見庸はここにファシズムの波動を聴く。ファシズムは日常のさりげないルーティンの中にこそ隠れている。日常生活は非善非悪,それは中間色の世界だ。ファシズムはそこに隠れている。ルーティンの怖さ。それは過去のものとはならない。山西省にいた数千人の関係者のだれも名乗りでない。加害の経験は忘れるものだ。自分は屠殺に加わっていないし,ぺろっと舌を出しても罪ではない。しかし人間の有り様からすれば最大の恥だ。根元的な恥辱。この内面に光を当てなければいけない。それが意識を変えるということだ。 辺見庸の声がだんだん力を増していく。言葉の一つ一つがくっきりと記憶の根を張っていく。 2003年の11月9日の屈辱を絶対に忘れない。その日は自衛隊のイラク派兵が閣議決定した日だ。小泉はなんと憲法前文を使ってその派兵を説諭していた。これに満場の記者団は誰一人反問しない。ひたすらメモをとるだけ。なんという屈辱。 「糞バエか,てめーら」 辺見庸は一息ついて続けた。言葉は万有だ。人は体に充満したなにかを表現するために,どうしても言葉を荒げなければいけないときがある。 辺見庸に病魔が襲ったのはその年だ。そして2年が経った。 大新聞の論説委員が「辺見さんも護憲派ですか」と冷やかすようになった。この大新聞は2年でこんなに変わった。少しづつ少しづつ,目立たないように,少しづつ。もっとも卑怯もっとも恥ずべきことだ。 かれはノームチョムスキーとの対談を思い出す。憲法9条の価値を言おうとした辺見庸に,この巨人は容赦ない批判を浴びせる。200万人を殺戮した朝鮮戦争の出撃はどこからだったのか。憲法9条をもつ国からだ。その国はひたすらもうけた。ベトナム戦争のときはどうだったのか。そしていまイラクでも。 自分の顔を鏡に映して見ろよ。 かれに返す言葉はなかった。かれは恥じた。9条を守ったという護憲論者のはずかしさ。山西省の手術台のまわりの同心円と同じだ。明示的でない罪,中間色がまんえんしている社会。 「知識人の転向はジャーナリストの転向から始まる」と言った丸山真男に,この会場で反論できるジャーナリストがいたら立ち上がってくれ。反論してくれ。 日本型ファシズム。それはわれわれのファシズム。他者から押しつけられるファシズムでない,われわれが根元的に持つファシズム。均質的で議論のない日本人。自己の体内にある神経細胞のなかにある「自己規制」という化け物。その恥を忍ぶよすがは憲法9条だった。これがあるからぎりぎり日本国民であることに耐えられたのだ。だがいまは。 「コイズミ」は虚構だったのだ。マスメディアとわれわれが作った虚構だ。われわれがあの安っぽい男を必要とした。あの下品な含み笑いを必要としたのだ。だがシニシズム(冷笑主義)は殺さなければいけない。 ぼくはあとどれだけ生きるかわからない。だがなめくじのようになっても,はいつくばっても,見えてくるものを書こうと思う。うみうしのようになっても,いもむしのようになっても,一生懸命になって書く。絶望,希望,暗さ,明るさ。死ぬまでもんもんとしながら書こうと思う。きょう話しながら考えた。異なった考えがいい。自分の言葉で表現できるから。いま必要なのは組織でなく個人だ。連帯とか言う必要ない。ひとの想像力が問われている。それぞれの持ち場で。一滴でいい,血を流さなければいけない。一歩でいい,足を踏み出さなければいけない。 2時間半の話を終えた辺見庸は立ち上がろうとしてふたたび座り込んだ。遠くのスクリーンからでもかれが全精力を使ったのがわかった。やがてだれかが肩を貸して今度はゆっくりと立ち上がった。舞台の奥に姿が消えたあとも演台にかれの残像が残っていた。こんな講演を聴いたのは初めてだ。言葉がすぐ陳腐化していく時代。いい言葉ほどすぐ道化のように変わってしまう哀しい時代。すべての言葉が信じられなくなった時代にぼくらが身につけたのは無意識のよろい。心を遮断するこのよろいを貫こうとしたのにちがいない,辺見庸の言葉はすべてが直球勝負だった。ぼくは素直に感動した。
by himenom
| 2006-06-29 02:51
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