近来になくおもしろかった。日曜日高松市で行われた「改憲のための国民投票」を考えるシンポである。主催したのは香川大学法学部のフツーの学生たちである。ブログをのぞいてみてほしい。街頭アンケートもやったそうだ。憲法と聞いただけで「うえっ」と拒否反応を示す学生に,ショックを受けつつも,生まれて初めての記者会見もやってしまう。ひょうひょうとした雰囲気で「憲法」を扱っているのがおもしろい。ぼくの世代だと肩に力が入ってなかなかこうはいかない。
パネリストもよかった。自民,公明,民主,共産,社民の全政党の議員さんが集まっているうえに,さらにいいのは肩書きだ。国会議員が2人,県会議員が2人,市会議員が1人という顔ぶれ。政党のカンバンとも言える憲法問題のディスカッションに,こんなバラエティに富んだ肩書きのパネリストが一堂に会したことがこれまであっただろうか。直接民主主義の国民投票を考えるにふさわしい。いや冗談ではなく,こういう雑然さこそが,物事の本質にせまり,ひとびとの関心を広げ,新しい発見を生むのである。こういう舞台をみるとわくわくする。 会場で国民投票法を作ることに賛成か反対かの全員アンケートをしたら,反対が多い。 ぼくは驚いて考え込んでしまったのだが,たしかに気持ちはわかる。国民投票法制定は自民党が仕掛けたもので,ねらいは9条改正にあるからである。9条擁護派にすれば国民投票法の議論は9条改正の一里塚と映るのだ。そこで9条という本丸を守るためには,国民投票法制定阻止という外堀防衛戦をしなければいけないというわけだろう。 しかしぼくは賛成の方に手を挙げた。 憲法96条の改憲の国民投票は,国の政治や行政を国民が直接コントロールできる唯一の直接民主制で,この結論には国会議員も官僚も束になっても絶対にかなわない。 国民主権の切り札,まさに伝家の宝刀なのである。民主主義の錦の御旗なのである。 なぜ9条護憲派のひとびとは,この錦の御旗を高々と掲げて,戦後60年憲法空洞化と解釈改憲の歴史やこの国のありようを,国民に問いかけていかないのだろうか。だが護憲派はその錦の御旗を持とうとせず,持っているのは逆に9条改憲派なのである。この構図は,長年権力の座にあった人びとが国民を「主権者」と扱おうとし,国民の側にあると自負してきた人びとが国民に不信を持ちその主権行使をさせまいとしている図なのである。 これは根本的にまずいのではあるまいか。まずい,まずいと思っているうち,この選挙は郵政民営化の国民投票だ,と絶叫して圧勝した小泉さんの姿を思い出した。 3時間はあっという間に過ぎた。パネリストも参加者もまだまだ言いたそうだった。
by himenom
| 2006-04-19 02:10
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