9月21日(水)晴 後藤田正晴氏逝去


徳島を代表する政治家,後藤田正晴氏が亡くなった。享年91歳。
晩年は「平和主義者の政界ご意見番」として人気があったが,現役時代は「カミソリ後藤田」として政敵に恐れられた。その怖さは,権力中枢が持つ個人情報の駆使にあったという。

ある高名な経済学者が,後藤田氏の部屋に呼ばれた。用件は「やっかいな委員職を引き受けてくれ」というものだった。その先生は断ろうと思ったが,ふと目の前の机の上の一枚の紙が目に入った。紙には,自分の昨日1日のプライベートな行動がすべて書かれていた。      「ぞっとして,断れなかったよ」 先生は肩をすくめた。

13年前,可動堰問題が注目を集め出した頃,ぼくはロータリークラブとか,商工会などの勉強会に呼ばれることがよくあった。そこで徳島経済界の有力幹部が「第十堰問題を本気で取り組むならあなたのやり方はなまぬるい」とアドバイスをくれたことがあった。 「第十堰は『後藤田堰』といわれているのを知らないの」  「・・・」  つまり可動堰計画のバックには後藤田氏がいる。大変な利権だ。半端なことでは勝てないよ。と彼は言ったのだった。

ぼくは,当時の広中和歌子環境庁長官に,第十堰問題の陳情にいったときのことを思い出した。初めて議員会館に入り,徳島選出の国会議員全員にあいさつにまわったが,後藤田氏の事務所だけが異様な対応だった。秘書さんは一瞬迷った後,「うちは建設側なのでお引き取りください」とぴしゃり断ったのである。ぼくはそのあざやかさに,さすが後藤田氏と感心したものだった。

さらに5年前のことである。住民投票の後,公共事業の最高実力者亀井静香氏が「可動堰は中止」の方針を固めたとき,徳島県の推進派が必死の思いで頼みにしたのが後藤田氏だった。後藤田氏と亀井氏の間にどんな暗闘があったかわからない。だが,あれよあれよという間に,方針は「中止」から「白紙撤回」へ,さらに「撤回」が消えたのだった。

後藤田氏なきあと,その地盤は水野真紀の夫後藤田正純氏が引き継いだ。まだ30代の若さで吉野川のことなどほとんど知らない正純氏だが,いまなお「可動堰は必要」と言っているそうだ。この時代錯誤。この執拗さ。まさに「後藤田堰」というほかはない。

そうそう,もう一つ思い出した。
昔,筑紫哲也氏が「クリーンかダーティか,タカかハトか」という基準で,政治家の分類をしたことがあった。お金や利権にきれいかどうか,平和志向か武力志向か,という物差しをあてると,「クリーンだけどタカ」派と「ダーティなのにハト」派がけっこう多くて有権者は困ってしまう,というような話だったと思う。

そのとき筑紫氏が,後藤田氏の姿をどう思い浮かべていたのかは知らない。
だが,加藤氏,野中氏,橋本氏,亀井氏とハトたちがつぎつぎに表舞台からおりて,小泉タカと前原タカの新しい配役ができたときに,後藤田氏も逝った。「可動堰」もいよいよ舞台から消えるときである。
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# by himenom | 2005-09-22 01:51

9月20日(火) 晴 河川整備基本方針検討小委員会の案内 

河川整備基本方針は,「川の憲法」のようなものだ。
それを,住民に隠れて審議するのはけしからん
と,16日のブログで怒った。

ところがそのあと,国交省のHPを見たら,委員会開催の案内
ちゃんと載っているではないか。「???」
あれ,前に見たときには載っていなかったのになあ。
ぼくも目が薄くなったかな。国交省さん,ごめん,と思いかけたとき,謎が解けた。
委員会の日は16日。その案内の日は15日。
なんと案内が載ったのは委員会開催の前日だったのだ。
確かに,秘密ではないのはわかるよ。けど,翌日の朝の会合を前日に案内するかい?
忙しい人や遠方の人はいけるはずがないじゃないか。

そこでぼくは直接国交省の河川計画課に電話した。
「次回の吉野川の基本方針検討小委員会はいつですか」
職員氏は,教えてくれたので,控えておこう。
次回委員会は,9月26日10時。国交省11階特別会議室。傍聴できる。
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# by himenom | 2005-09-21 00:52

9月18日(日)晴 鮎喰川で川の学校

鮎喰川(あくいがわ)は吉野川最下流の支流である。ダムがなく水がきれいで魚が多い。鮎がおいしいので昔から有名。地元の人に「おお,この鮎はスイカの香りがしますね」とほめると「並みの鮎の匂いはスイカ。うちの鮎はきゅうりの香りじゃ」と機嫌が悪いというから,川自慢のほどが想像できるだろう。

b0050788_0433262.jpg川がいいから,あちこちに地元の川ガキの姿が見える。ひときわ貫禄ある川ガキがヤスを片手に,にこにこと寄ってきた。なんと2期卒業生の耕生である。彼は自転車で県内の川を渡り歩いているらしい。 川の学校も5年目になった。                                                

今年,一期卒業生の拓也,2期のあや,4期のえいがスタッフになって戻ってきた。

b0050788_04444.jpgぼくは,久しぶりに,森口さんに友釣りをさせてもらった。すぐちいさなやつが1匹掛かった。目の前にもう彼岸花が咲いていた。
日が落ちて虫の声が川面いっぱいに聞こえている。山の上に中秋の名月が上ってきた。   

野田さんが上機嫌で目を細めながらいつまでもハーモニカを吹いていた。
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# by himenom | 2005-09-19 00:48

9月16日(金)晴 国交省が抜き打ち審議会?

霞ヶ関で河川整備基本方針検討小委員会が開かれた。
記者発表もなく,国交省HPでも発表しない抜き打ちだから,驚いた。
吉野川整備基本方針の国交省原案がはじめて示されたようだ。
150年に1度の基本高水のピーク流量は毎秒24000トン。それを,ダム等で6000トンカットして,岩津地点の計画洪水は18000トンにする。早明浦など既存ダムの洪水調節は3000トンだから,新たなダムを4つ作る計画は生き残る計算だ。いままでとまったく同じである。

新河川法のもとでなぜ変わらないのか。問題の第十堰はどうなっているのか。
そもそも住民投票まで実施された吉野川の将来像を,住民にいちども説明することもなく,
なぜ住民にかくれて審議しなければならないのか。
まるで可動堰計画が秘密に始まったのと同じではないか。国交省はこの10年いったいなにを学んだのだろう。小泉台風というが,霞ヶ関は無風ではないか。
疑問だらけである。
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# by himenom | 2005-09-17 01:57

9月10日(土)曇 水槽のフナと小泉さん

姫野事務所のカウンターには,二〇年近くになる古い水槽がある。
吉野川で掬ってきたマブナ,バラタナゴ,カワムツ,ジンゾク,スジエビがいるのだが,15匹ほどいるマブナが最大勢力である。5月のイベント「吉野川まるあそび」で掬ってきた川底の土に,卵がついていて,水槽のなかで次々に誕生したというわけだ。50匹はいただろう。
孵化したマブナを観察していると,2つのタイプに分かれることに気がついた。

 まず,食欲旺盛で動きが速いタイプ。これは人の姿をすぐ覚え真っ先にえさに飛びついてくるから,すぐ大きくなる。自分より大きなタナゴやカワムツともえさを奪い合うたくましさ。まず生き残れるタイプであろう。

 もう一つは,食い物にはあまり関心がないタイプ。ぶらぶら泳ぎながら,元気魚のえさの取り合いを,少し離れて観客のように見ている。だからあまり大きくならない。
自然界では生きていけないタイプであろう。

 ぼくは気が気ではなく「ほら早く大きくなれよ」と鼻先にえさをやるのだが,迷惑そうに後ろに下がって,ただ見ているだけなのだ。「おまえはナマズのえさになってもいいのかよ」と怒ってみても同じである。

 こういう2つのタイプは,もともと先天的なものなのか,それとも後天的にできるのだろうか。自然界でもこんな無気力派のフナ集団が存在するのか,などとと考えていた矢先に小泉さんの絶叫するのがテレビに映った。
 
 小泉さんが,参院否決を受けて「国民の皆さんに問うてみたい」と解散に持っていった政治手法は,国,県,自民党とダム審の可動堰推進に対し,住民投票へさらに市議選へ土俵を転換させて民意の審判を求めた徳島の住民運動と同じ手法であることにお気づきだろうか。
先手必勝,実に鮮やかである。受け身の野党は太刀打ちできないはずだ。

 ただ違う点は,次の1点である。

「民主主義社会における市民の役割は,
観客になることであって,行動に参加することではない」

なぜならば 

「大半の人間は感情と衝動に突き動かされて行動する。

だから,理性を持った人間が,『必要な幻想』を作り出し,
人々の感情に訴える『過度の単純化』を提供して,
愚かな人々を導かなければならない」

ノーム・チョムスキーによれば,これがアメリカ現代政治学の主流の考えであるという。
 
徳島の運動が,この考えに真っ向から挑戦して,これをひっくりかえしたのに対し,
小泉さんの手法はこの考えを忠実になぞり戦術化したものだ。
小泉さんと徳島が決定的に違うのはこの点である。

作られた「幻想」と「単純化」であらぬ方へ導かれるのはごめんこうむりたいが,さてこの選挙「統治される人々」と「統治する人々」の関係に,どんな変化が起こるのか起こらないのか,きちんと見守っていかなければ。
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# by himenom | 2005-09-11 04:08

9月7日(水)晴 備忘録その2

忘れないようブログ中断中の出来事を書いておく。備忘録の続きその2

6月11日 上野の野外音楽堂で恒例の野田知佑ハモニカライブ。吉野川東京の会主催。
懐かしい顔に出会う。吉野川みんなの会専従だった堤勝彦くんは環境分野の新しい研究活動に,中村敦夫さんの優秀な政策秘書だった田中信一郎くんは大学院で政策研究に,それぞれがんばっていた。

6月12日 サラ金問題の勉強で西日本クレサラ金被害者交流集会に参加した帰り,ふと
「南禅寺」に立ち寄った。御前会議風のテーブルを置いた「龍の間」という部屋があった。
部屋中すべてが緑色に染まっている。開け放たれた障子の向こうに裏山が間近にせまっていて,その木々の緑の光が部屋中を深い緑色に染めあげているのだ。
 コーンという添水(そうず)の音を聞きながら,気がついたら1時間ほど釘付けになっていた。

6月18~19日 第十堰北岸で第5期川の学校の開校。もう5年目になる。
リーダーは研磨業が本業の小畠清治さん。かれの川の学校への思い入れは半端ではない。こどもたちやスタッフからは「チチ」と呼ばれている。今年は現役の学校教師も特別研修スタッフとして来ている。「川とこどもの自由な関係」が教育現場でも広がってほしい。
 
 小畠さんから言いつけられたぼくの役割は釣り指導だ。釣りが初めてのこどもたちに見釣りでジンゾク(ヨシノボリのこと)を釣らせるのである。だれでもすぐ釣れる。300匹ほど釣れた。こどもたちは自分で釣った初獲物をその晩からあげにして食べる。「うまいうまい」と大人たちもほしがるので,こどもたちは鼻高々になるのである。

6月25日7月2,3日 京都精華大学の集中講義。今年は受講生が多い。
 200人あまり登録していますね,と教務課の話。講義のテーマは去年と同じ「市民運動」だ。3日間21時間がぼくの持ち時間である。長いようでけっこう短い。出欠確認も兼ねて毎時間感想文を出してもらう。時間を追って学生達の考えが変わっていくのがわかるので楽しい。

 さすがのぼくも吉野川の運動をこれだけぶっとおしで話すことはめったにない。
「この講義を聴くと必ず市民運動が好きになるからね」
 と最初に宣言するので,学生一人一人の反応を確かめながら,ぼくも真剣勝負である。
大事なのは自分をさらけだすことなので,50肩のリハビリのようにチクチク痛いときもあるが,終わると爽快な気分になれるのがまたいい。
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# by himenom | 2005-09-07 20:11

9月6日(火)暴風雨  早明浦ダムまもなく満杯

朝からずっと台風14号が吹き荒れている。ぼくの事務所は東南とも全面ガラスで見晴らしがいいのだが,台風の雨漏りに弱い。今もぞうきん片手に対策におおわらわである。

だが台風のおかげで,渇水続きの早明浦ダムはあっという間に水がたまってしまった。
まもなく満杯だろう。水はやっぱりお天道様次第なのである。

もう隠れてしまっただろう旧大川村役場の昔と今の写真を残しておきたい。
早明浦ダムに反対した大川村が水没覚悟で建てたものだ。
渇水騒ぎになるたびにぼくは原爆ドームと二重写しでこの建物を思い出す。

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8月20日早明浦ダムの貯水量がゼロになり湖底から現れた旧大川村役場。
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40年前の旧大川村役場(左下)。この写真を撮った筒井さんも2年前に亡くなった。

国交省に「吉野川水系における水資源開発計画」というのがある。
平成14年2月15日閣議決定されたものだ。
「需要想定の伸び率を下方修正」して
「新規ダムの建設をせず」渇水に対応する。
というのである。
新しい時代にどのように具体化されていくのか注目している。
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# by himenom | 2005-09-06 22:48

9月5日 雨 備忘録その1

大型台風14号が近づいている。 忘れないうちに備忘録をとっておこう。今日はその1。

5月14日 徳島県司法書士会の定時総会で議長をする。司法書士会の会務をしたのは何年ぶりだろう。長年留守にした田舎の実家に里帰りしたような気分。

5月20日 徳島簡易裁判所3号法廷に原告訴訟代理人として初出席。昨年取った認定司法書士の初仕事である。「認定司法書士」というのは,140万円までの簡易裁判所の民事訴訟や調停事件について弁護士と同じように代理人となる資格である。この日をスタートに20社以上のサラ金を相手に過払い金の取り戻しの交渉や裁判に突入する。依頼人の人生にかかわらざるを得ない重さと,勝負の現場特有の緊張感が,今はいい。その話はまた後日に。

5月21~22日 吉野川シンポの人気イベント「吉野川まるあそび」。今年のゲスト雑魚党の  面々のお魚の話がおもしろくて,河原のテントで川ガキどもと膝を抱えて時間を忘れる。

5月28日 NPO法人近畿水の塾総会で講演。理事長の福広勝介さんのほのぼのとしたキャラクタが魅力的で,10年来のおつきあいである。もっともそんなに深いおつきあいというわけではないのだが,昔読んだ白土三平のカムイ伝に登場する「名張の五つ」という忍者?が印象的だったので,初対面のとき福広さんが名張在住と聞いて,ぼくはなおさら親近感をもってしまったのかもしれない。

5月29日 北垣総一郎氏が上堰を視察。北垣氏は石積み文化研究の第一人者である。第十堰の石組みが地元の素材と地元の技術で数百年も続いてきたことを高く評価された。
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# by himenom | 2005-09-05 23:18

9月4日(日)曇 5ヶ月ぶりに更新成功

ついに吉野川日記更新に成功だ。
あまりに久しぶりなのでパスワードまで忘れていた。
なにしろ百字超えるとダメというブログの不調は5ヶ月も続いたのだ。
むろん放置していたわけではない。
当然プロバイダにヘルプで問い合わせた。でも百字を超えると通信できないうえ,ぼくはパソコン用語がわからない,ときているので回答を見て絶望的になった。
気をとりなおして掲示板でも質問してみたが,百字の質問文では,ことば足らずでバカにされたり怒られたりして,ぼくはさらに意気消沈した。
こうして何度も挫折しながら,今日ついに成功したのである。
この気持ち,わかる人にはわかるだろうな。
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# by himenom | 2005-09-04 23:31

4月26日 青石畳眺め楽しむお茶 吉野川・第十堰

朝日新聞読売新聞に写真入りで載っています。いい茶会でした。
第十堰はサンデー毎日の今週号でもカラーグラビア特集です。
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# by himenom | 2005-04-25 23:49

ブログ不調

今日阿波銀行にいったら、
全店ATMが故障して送金できなくなっていた。
この吉野川日記もしばらく更新していなかったら、
いつのまにか投稿できなくなっていた。
短文だとOKのようだ。この長さが限界。
いつ直るかわからない。
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# by himenom | 2005-04-22 17:04

3月24日 宮川村「森林施業が崩壊・土石流の発生に及ぼす影響」

日曜日、昨年21号台風で大きな土砂災害に遭った三重県宮川村に行った。テレビで山が崩れ落ちる衝撃的な映像を見た人も多いはずだ。そこが宮川村である。徳島から車で6時間もかかるのだが「森林施業が崩壊・土石流の発生に及ぼす影響」という講演タイトルについ釣られてしまったのだ。

講師のロイ・サイドル京大防災研究所教授の話を聞きながら災害地を歩く。治山ダムが軽々と
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吹っ飛んでいる。「治山ダムを作ると被害はかえって大きくなる。」と教授は言う。だから「危険な場所に住まないことだ。移転費を出してあげればいい。アメリカではそうしている。」
なるほどそのとおりだ。

宮川村は吉野林業の流れをくむ村だ。吉野林業の特徴は密植と間伐だそうだ。間伐を繰り返し年輪の密な良質の材にする伝統の技である。密植とは「1㌶に何本植えるんですか」と聞いた。最初の人は6000本だといった。徳島では3000本が標準と聞いていたので「えっ」と驚いていたら、別の人は8000本だという。さらに多い山は12000本もあるよと聞いてぼくは絶句した。

b0050788_2163699.jpgこれで間伐ができなくなれば山は持つまいと思ったのである。昨年宮川村ではなんと1000カ所をこえる崩壊があったという。だがサイドル教授は間伐手入れによる森林の防災機能の向上には慎重な姿勢を崩さなかった。深刻な山の現状に森林水文学が応えられないことにぼくはすこしがっかりした。

b0050788_216533.jpg金子さんは1年前から林業に取り組み始めた青年である。「森林管理と災害防止の関係が、科学的にはまだ解明不足ならば、まずはその事を実証できるような山造りを考えていきますよ」と意欲的なのが心強い。そうそうすべては現場から始まるのだ。宮川村には川の学校のスタッフだった「ケンポー」こと山口くんもいる。前夜、すばらしい山の写真をいっぱい見せられたぼくは、来年はアメゴ竿をもってくるぞ、とひとりにやにやしながら車に乗り込んだのであった。
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# by himenom | 2005-03-24 02:23

武庫川の流域委員会

武庫川で「緑のダム」の勉強会があった。
「緑のダム」に対する関心はここでも高く、西宮北口アクタ東館には百人近く集まった。
おどろいたのは質疑応答のテーマがすでに是非論を超えていたことだ。
多くの人が、どう政策化していけばよいか、をぼくに聞きたがったのである。

だが、これは内心ぼくのほうこそ質問したいテーマであった。
吉野川ではまだ手探りの域をでていないからである。
可動堰をめぐる政治的対立構造とか、縦割り行政とか、専門分野の研究の遅れとか、ついつい言い訳を考えている自分に気がついて、いかんいかんと苦笑いした。

このように武庫川で政策論への関心が高いのは武庫川流域委員会が活発に動いているためだ。流域委員の方々に話を聞いた。ユニークなのは、ここの流域委員会は河川整備基本方針についても議論していることである。つまり百分の一とかの治水安全度や基本高水流量など河川計画の骨格部分の議論に立ち入っているのである。
全国でもあまり例がないのではないか。

委員長の松本さんは「かんじんな部分にこそ住民がかかわらないとね」という。
そして「住民間の利害調整は行政しかできない」論を超えなければ、と言った。
今日の勉強会を主催した武庫川円卓会議の奥川さんも
「市民で研究費を集めて武庫川ダムへの対案を作った。県は住民の望む委員会方式を飲まざるをえなかったんですよ」と言った。
淀川流域委員会に続いて、ここでも新しいモデルができつつあるようだ。
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# by himenom | 2005-03-13 02:15

長良川のアユ、最盛期の2割に 河口堰運用10年

 一九九五年七月に本格運用が始まった長良川河口堰(ぜき)=三重県桑名市=は今年、十周年を迎えるが、上流の岐阜県の同川水系の二〇〇三年のアユ漁獲量が、せき建設前のピークだった一九九二年の約五分の一にまで落ち込んだことが、岐阜県の調査で分かった。せきを管理する水資源機構と国土交通省は「せきの影響はない」とするが、水揚げ量から「激減した」と指摘してきた川漁師や鵜匠(うしょう)らの声が裏付けられた形。一部の専門家は「減少の事実を認めて、対策を講じないと手遅れになる」と警鐘を鳴らしている。

 岐阜県は、長良川と支流の九つの漁協の申告漁獲量をまとめてきた。それによると、一九七六(昭和五十一)年の漁獲量は三百五十五トン。ピークの一九九二年は千二十九トンあったが二〇〇三年は二百七トンにとどまった。人の手による放流の量は一九九一年から二〇〇三年までほぼ横ばいという。

 一方、水機構はせきの魚道と、約四十五キロ上流の岐阜市でのアユの遡上(そじょう)状況の調査をしており、このデータを基に、識者らによる中部地方ダム等フォローアップ委員会は二〇〇三年度も「アユの遡上は平年並みで、環境面で大きな変化はない。予測の範囲内で問題はない」と結論づけた。

 ただ、遡上のデータはせき完成後のもの。長良川下流域生物相調査団長の山内克典岐阜大教授(動物生態学)は「せきの建設中から既に影響が出ていた可能性がある」と指摘し、現象の原因として「せきができて、流れがない湛水域が現れたこと。孵化した稚魚が川を下るのに日数がかかるようになり、えさが乏しいため死亡率が高まっている可能性がある」と説明する。
中日新聞3月10日
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# by himenom | 2005-03-10 15:50

30年の年輪

b0050788_0202495.jpg上堰のアカメヤナギの伐採をした。参加者は50名。のこぎりやなたを腰にぶら下げた本格派もいれば、なかにはチェーンソーを持参のおじさんもいる。むろんぼくのようになにももたずに駆けつけたものもいて、国交省から鋸の貸し出しもある。

b0050788_0212687.jpg 最高齢は80歳のおじいさんである。「吉野川はきれいけんな。可動堰はいかん。なあ会長はん(ぼくのことらしい)」彼は30年にわたって吉野川の水門を管理し表彰を受けたばかりだという。「すごいですねえ。こんなに関心がたかいんですねえ。」国交省の職員氏も驚く熱気である。4時間の作業で刈りとられたアカメヤナギがうずたかく積み上げられた。

b0050788_0214862.jpgチェーンソーで薄くハムのように切られたアカメヤナギの「一枚」を記念にもらってきた。30の年輪がある。30年前と言えば1975年。早明浦、池田ダムが完成したばかりである。本来根付くはずのなかった上堰の石畳に、彼が根を張れたのはダムのためだった。だから人はこれからも根っこから芽吹くヤナギとつきあうことになるのだ。
彼が大木になったこの30年間は長い第十堰の歴史のほんのひとこまである。だがこんな時代はもう二度とあるまい、そう思ってふともらう気になったのだった。
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# by himenom | 2005-03-07 00:26