6月28日(水) 曇  辺見庸講演会

  先週末,大阪で辺見庸の講演を聞いた。中之島公会堂は満席で,30分ほど遅れていったぼくは,3階のスクリーン会場のさらにうしろの方のパイプいすに座った。辺見庸はぼそぼそとしゃべっていた。演台に左肱をついて,いつもの帽子をかぶり,ずっとうつむいてしゃべっていた。もともとしゃべりはそれほどでもないと聞いていた。それに脳出血で半身が不自由,さらにガンを病んでいる。無理もないよなと思った。両耳をスクリーンに集中した。
  「あなたはどこからきたのか」と彼は言っていた。いまこの問いに答えられる日本人がいるだろうか。と続けた。彼はファシズムの話をしようとしていたのだった。 中国山西省で旧日本軍の生体実験の話。生きながら手足を切断され,内臓を摘出される生体実験。おびえて手術台から遠い部屋の隅っこにあとずさりする中国青年に若い日本人看護婦が声をかける。 「麻酔するから大丈夫よ」  そのひとことで彼はついに覚悟を決める。手術台のまわりをとりまくたくさんの軍医たちに娘はぺろりと舌を出した。教養あるりっぱな軍医たち。彼らに殺人の意識はない。そこにあるのはただのルーティンだから。屠殺なのだから。
  辺見庸はここにファシズムの波動を聴く。ファシズムは日常のさりげないルーティンの中にこそ隠れている。日常生活は非善非悪,それは中間色の世界だ。ファシズムはそこに隠れている。ルーティンの怖さ。それは過去のものとはならない。山西省にいた数千人の関係者のだれも名乗りでない。加害の経験は忘れるものだ。自分は屠殺に加わっていないし,ぺろっと舌を出しても罪ではない。しかし人間の有り様からすれば最大の恥だ。根元的な恥辱。この内面に光を当てなければいけない。それが意識を変えるということだ。

辺見庸の声がだんだん力を増していく。言葉の一つ一つがくっきりと記憶の根を張っていく。

2003年の11月9日の屈辱を絶対に忘れない。その日は自衛隊のイラク派兵が閣議決定した日だ。小泉はなんと憲法前文を使ってその派兵を説諭していた。これに満場の記者団は誰一人反問しない。ひたすらメモをとるだけ。なんという屈辱。
「糞バエか,てめーら」
辺見庸は一息ついて続けた。言葉は万有だ。人は体に充満したなにかを表現するために,どうしても言葉を荒げなければいけないときがある。
辺見庸に病魔が襲ったのはその年だ。そして2年が経った。
大新聞の論説委員が「辺見さんも護憲派ですか」と冷やかすようになった。この大新聞は2年でこんなに変わった。少しづつ少しづつ,目立たないように,少しづつ。もっとも卑怯もっとも恥ずべきことだ。
  かれはノームチョムスキーとの対談を思い出す。憲法9条の価値を言おうとした辺見庸に,この巨人は容赦ない批判を浴びせる。200万人を殺戮した朝鮮戦争の出撃はどこからだったのか。憲法9条をもつ国からだ。その国はひたすらもうけた。ベトナム戦争のときはどうだったのか。そしていまイラクでも。 自分の顔を鏡に映して見ろよ。 かれに返す言葉はなかった。かれは恥じた。9条を守ったという護憲論者のはずかしさ。山西省の手術台のまわりの同心円と同じだ。明示的でない罪,中間色がまんえんしている社会。

  「知識人の転向はジャーナリストの転向から始まる」と言った丸山真男に,この会場で反論できるジャーナリストがいたら立ち上がってくれ。反論してくれ。
日本型ファシズム。それはわれわれのファシズム。他者から押しつけられるファシズムでない,われわれが根元的に持つファシズム。均質的で議論のない日本人。自己の体内にある神経細胞のなかにある「自己規制」という化け物。その恥を忍ぶよすがは憲法9条だった。これがあるからぎりぎり日本国民であることに耐えられたのだ。だがいまは。
  「コイズミ」は虚構だったのだ。マスメディアとわれわれが作った虚構だ。われわれがあの安っぽい男を必要とした。あの下品な含み笑いを必要としたのだ。だがシニシズム(冷笑主義)は殺さなければいけない。
  ぼくはあとどれだけ生きるかわからない。だがなめくじのようになっても,はいつくばっても,見えてくるものを書こうと思う。うみうしのようになっても,いもむしのようになっても,一生懸命になって書く。絶望,希望,暗さ,明るさ。死ぬまでもんもんとしながら書こうと思う。きょう話しながら考えた。異なった考えがいい。自分の言葉で表現できるから。いま必要なのは組織でなく個人だ。連帯とか言う必要ない。ひとの想像力が問われている。それぞれの持ち場で。一滴でいい,血を流さなければいけない。一歩でいい,足を踏み出さなければいけない。

  2時間半の話を終えた辺見庸は立ち上がろうとしてふたたび座り込んだ。遠くのスクリーンからでもかれが全精力を使ったのがわかった。やがてだれかが肩を貸して今度はゆっくりと立ち上がった。舞台の奥に姿が消えたあとも演台にかれの残像が残っていた。こんな講演を聴いたのは初めてだ。言葉がすぐ陳腐化していく時代。いい言葉ほどすぐ道化のように変わってしまう哀しい時代。すべての言葉が信じられなくなった時代にぼくらが身につけたのは無意識のよろい。心を遮断するこのよろいを貫こうとしたのにちがいない,辺見庸の言葉はすべてが直球勝負だった。ぼくは素直に感動した。
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# by himenom | 2006-06-29 02:51

6月11日(日)曇  「第十堰また官主導が首もたげ」

 連日の過密スケジュールで眠りそうになっているが,こんなときこそブログ更新しなくちゃとパソコンにむかう。まず気持ちのいいことを書く。
 8日は,秋の吉野川まるあそびの企画決定をする会合があった。場所はなんと吉野川料理の「いろりあん」である。名人「虎屋壺中庵」岩本光二さんの手になる吉野川の幸を味わいながらやれば最高の企画ができるであろう,というぼくの思惑は見事にはずれ,10人の参加者はあまりの美味に忘我状態となりつい本題を忘れてしまったのであった。いい一日だった。

だが幸せは長くは続かず,翌9日はがらりと変わる。
9日,国交省が発表した河川整備計画検討方針に対し説明を求めるため,住民22人とマイクロバスで国交省四国地整に向かった。すでに4項目の質問を出してある。
1住民参加のしくみ(流域委員会)を採用しなかったのはなぜか。第十堰問題の誤りをまた繰り返すのか。
2緊急かつ最重要の課題と吹聴してきた第十堰問題を先送りするからには,まず第十堰の安全を説明すべきではないか。

舘課長の答えはこうであった。

1流域委員会では一部からの意見しかきくことができない。
2広くていねいに公平に聞くため今回の意見聴取の方針にした。
3第十堰の安全性は後日議論してもらう。学識者の人選は妥当だ。
4第十堰ではいろいろあったかもしれないが,まずは始めることが大事だ

 これが5ヶ月間ノーコメントを押し通し,待たせたあげくの「説明」であり,吉野川流域の住民がだれでも聞けるよう地元で説明会をしてほしい,という願いを拒否し,住民を高松に呼びつけての「説明」であった。
おだやかな住民たちの口からおもわず声が漏れた。
「説明になってない!」

 双方向の議論で結論を見つける「住民協働」の時代に一方通行の「意見聴取」とはなにか。いったいあなたがたは住民参加をどう考えているのか。住民参加とは,異常気象と予算減という未曾有の時代に,官民共同で立ち向かうための不可欠のしくみではなかったのか。流域委員会とはその可能性を探る新河川法が生んだ「知恵」だったのに,それさえ設置しないでどうやって40年間の吉野川の安全を確保するつもりなのか。

 なぜ第十堰の過ちを繰り返そうとするのか。吉野川では「計画策定の各段階で市民参加を行い意思決定を段階的に積み上げていくしくみ」で河川整備計画を作るはずではなかったのか。このしくみはあなたがた国交省の吉野川懇談会が出した結論ではなかったのか。第十堰問題の反省から生まれた「吉野川方式」ではなかったのか。

 いくら聞いても,舘さんはこれ以上言わない。理由になっていないのは子どもでもわかるのに,ただ繰り返すだけである。理由になっていないのを舘さんは知っていて何度でも無表情のまま繰り返すのだ。論理が破綻していようが,質問とずれていようがおかまいなしなのだ。技術者の誇りはないのか。これが官僚のお仕事というものなのか。

 のれんに腕押し,糠に釘,蛙の面に小便,馬の耳に念仏,いろんな言葉がぼくの頭の中をかけぬける。住民たちはぐったりとくたびれたのであった。

 舘さんが最後にようやく約束したのは次の2点である。
1この検討方針は住民に納得されていない。なお納得されるよう説明する。
2整備計画策定に際し単に「意見を聴取する」だけではなく「議論し,判断し,反映させる」プロセスをもりこむ事を検討し返事する。

 私たちは,引き続き徳島で説明会をするよう強く求めてこの日の説明会は終わった。帰り,22人のマイクロバスは,名勝津田の松原パーキングエリアに立ち寄った。名物は讃岐うどん。この日ばかりはうまいという者はだれもいなかった。翌日の徳島新聞夕刊の片隅にこんな川柳が載った。

「第十堰また官主導が首もたげ」
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# by himenom | 2006-06-12 01:44

6月1日(木)晴 国土交通省四国地方整備局長 北橋建治様

国土交通省四国地方整備局長 北橋 建治 様             
2006年6月1日                                            
                                    NPO法人 吉野川みんなの会
                                    吉野川シンポジウム実行委員会
                                              連絡担当:姫野

                  説明会開催の申し入れ

さる5月23日付で発表された「吉野川水系河川整備計画の検討方針について」において、①流域委員会は設置せず②第十堰の検討は先送りにする,という方針が示されました。しかしながらこの検討方針およびその決定に至る過程には、以下のとおり重大な問題があると考えますので、速やかに説明会を開催し、下記の点等についてご説明をいただくようお願い申し上げます。

1  国交省(旧建設省)が「第十堰問題を含む吉野川における市民参加と対話の方法に関する『吉野川方式』を検討し提案する」ことを目的に設置した「明日の吉野川と市民参加のあり方を考える懇談会」の2001年3月24日付け最終提言は、「計画策定の各段階で市民参加を行い意思決定を段階的に積み上げていくしくみ」の重要性を強調し、それを総合治水・市民参加検討委員会(仮称)や吉野川流域協議会(仮称)としてまとめています。
  これは,国交省自身による,第十堰問題の反省から生まれた吉野川ならではの合意形成の新たなしくみであり,当然採用されるべきにもかかわらず,あえて今回の方針でこれを採用しなかったのはなぜか,県民にわかるようご説明頂きたい。

2  昨年12月、河川整備基本方針を決定した際、渡辺和足河川局長は「徹底した情報公開と住民参加で河川整備計画を作る」と約束しました。このため私たちは、計画の議論に先立って住民参加や合意形成のあり方を話し合う準備会を設置するなど、住民意見を十分反映できる仕組みを求める提言をし、繰り返し率直な意見交換を求めてきました。
しかしながら四国地方整備局は、2度の意見交換の場ではノーコメントを通し,いまなお,経過説明も情報開示もしていません。河川局長の約束はなんだったのか、いったい,「住民参加」と「情報公開」をどのように考えているのか,県民にわかるようご説明頂きたい。

3  流域の合意形成を図る上でもっとも重要なテーマのひとつが,審議会等の性格,運営,そして委員の人選です。ここでボタンを掛け違えるともはや取り返しがつかないことは,ダム審の教訓が示しています。このため前記最終提言も「委員の構成や選考基準,選考過程等に関する市民意見を集約し,できるだけ多くの人が納得できる選任方法を考える」べきと結論づけています。
  にもかかわらず,学識者会議の委員の人選と運営において,なぜこのようなていねいな方法がとられず,ダム審と同様,行政側の意向だけで決定してしまったのか,この学識者会議とはどんな役割を担うのか,県民にわかるようご説明頂きたい。

4  第十堰については、国土交通省(旧建設省)は、吉野川全域でもっとも危険と主張してきました。もし現在もそうだとすれば、可動堰計画の白紙後なんの安全対策をとることなく6年間も放置したうえ、さらに「抜本的な第十堰の対策のあり方」の検討を先送りにすることなど河川管理上ありえないことです。
したがって国交省は、まず河川整備計画上の対象洪水について第十堰は安全であることを,23号台風の解析結果に基づいて,過去にとらわれず率直に県民にご説明頂きたい。

  以上の点については、多くの県民が疑問に思っているところであり、つきましては5月19日のお約束どおり、速やかに今回の検討方針についての説明会をおこなって頂きたくお願い申し上げます。なお場所は徳島市内において当会が準備いたします。日時は6月中旬までに、お願いいたします。 
以上
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# by himenom | 2006-06-02 23:52

5月28日(日)晴 言っていることとやっていること

  10時からみんなの会の定時総会。朝からだったが50人ほど集まった。当然ながら国交省の新方針に失望や怒りの声が相次ぐ。「6年前に可動堰は”白紙”になったが,その白紙をあぶり出せば”可動堰”と書いてあるんじゃないか。国交省は信用できん。」と藍住の男性。
  ぼくは「97年の河川法改正から始まった住民参加型の河川行政は,00年の第十堰住民投票の高揚,続く淀川流域委員会をピークにして,再び後退局面に入ろうとしているようだ。注目河川の吉野川で流域委員会を設置しないことは考えられないことで,06年の吉野川が逆コースのエポックとなるとしたら残念だ」と意見を述べた。
  昨年12月,渡辺河川局長は「徹底した情報公開と住民参加で河川整備計画を作る」と約束したが,部下の四国地整がやったことは,5ヶ月間何を聞いてもノーコメントを決め込んだことであり,あげく流域委員会を設置しないと発表したことであった。議論で計画を練り上げていく流域委員会の設置をやめて,単なる一方的な意見聴取に変えてしまったのであった。
言っていることとやっていることがまるで違う。
  国交省のいう住民参加とはいったいなにか。いまはもう退官したが,青山俊樹さんという河川官僚がいた。ぼくは94年に日弁連が合衆国開墾局総裁のダニエル・ビアードさんを呼んだシンポを聞きに行ってそこで青山さんに初めてお会いした。ビアードさんを前にきれい事を述べる青山さんにぼくは食い下がった。「吉野川の現場を知っていますか。シンポの出席は拒否し計画データも隠すひどい状態だ」青山さんは壇上から答えた。「データを出してよいと私が言ったと言ってもらってかまわない。」ぼくは青山さんに好感を持った。翌日徳島工事事務所からデータを出すと電話がかかってきた。事態は動き出したのである。
  それから5年後,河川局長になった青山さんの講演を聞いた。青山さんは「反対住民を敵視してはいけない。川の仲間と思わなければいけない」と話した。川に関心があるからこそ住民は反対もするというわけだ。ぼくは感動した。もしこのような考え方が現場に広がれば,河川行政は間違いなく国民から信頼されるに違いない。住民参加の原点はここになければいけない。青山さんの目は,たしかに嘘を言っている人の目ではなく,だから対立のさなかにあっても,ぼくは青山さんの講演に共感できた。しかし河川行政の現場は全く違ったのである。
  建設省に都合のいい住民,異議を言う煙たい住民,と色分けして,都合のいい住民だけを審議の場に参加させる。95年設置の吉野川のダム審はその典型であり,いやさらにひどく,当初から可動堰賛成委員が大半を占めており住民代表は誰一人いなかった。だがこのダム審の制度とは,なんと青山さんその人が作ったものだったのだ。河川局長のいう総論と現場の実態が180度違う。いったいこの事実をどう解釈すればよいのだろうか。河川行政は住民にとって深い闇の中である。
  これが10年前にぼくが経験した事実である。当時青山さんは少なくとも,住民参加型行政に関心を持ち,これを導入しようとしたのに違いない。しかし実際に運用しようとしたとき,住民参加の魂はどこかでのけられ形だけが残された。それから10年が過ぎた。住民参加を掲げる新河川法も施行された。だが国交省は青山さんの時代と何も変わっていないようである。

 総会の議論は尽きず,結局時間切れで継続議論を行うことになった。
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# by himenom | 2006-05-29 00:11

5月26日(金)雨 市民運動で悩んでいる若いみんなへ

「市民運動」というテーマで,京都精華大学の集中講義を引き受けて,3年目となる。ぼくにとって「市民運動」とは吉野川第十堰の13年間がそのすべてなのだが,たとえ第十堰という一つのテーマであっても長期間かかわると驚くほどもの(本質)が見えてくることがあり,逆に解決したように思ってもまた逆戻りしていることに気づいて愕然としたりする。
  市民運動は特別のことではなく,日常の人生の一こまである。しかしまちがいなくその人生は深みと輝きが加わる。市民運動は人のせいにしないのが作法である。なぜなら受け身でするものではなく自分の意思でするからである。自己責任の世界であり,いわば「道楽」と考えるべきなのである。「道楽」と考えると人を批判したり人のせいにしなくてすむ。
  仲間を批判し仲間どおしで憎しみあい疲れ果てて去っていき,残された運動はまるで修行僧が必死に悟りを求めるような孤高なものになっていく,こうなっては困るのである。
  ぼくが柄にもない講師を引き受けたのは,市民運動はもっとポジティブで新しい発見に満ちたわくわくするものであり,共感をひろげ現実を変えられるものであるということを伝えたかったからである。いや,吉野川はいまだ終わっておらず,悩みを抱えるぼく自身こそ,忘れ物を見つけさらにパワーアップするために,一番楽しみにしているのかもしれないなあ。
学外からの聴講も自由ということなので関心のあるかたはどうぞ来てください。

集中講義「市民運動ーわくわくする運動が奇跡を生む」
「徳島方式」と呼ばれた住民運動がある。なぜ数人から始まった運動が大きな共感を呼んだのか。これまでの運動とどこが違うのか。どんな可能性をもつのか。13年間のさまざまな人間ドラマをふりかえりながらいっしょに考える。時代に立ち向かう勇気とヒントを見つけてくれるとうれしい。

1「市民運動」それとも「住民運動」?
2 わくわくしない運動は本物でない?
3「長良川と柳川の物語」感動と教訓を生かす
4「専門家としろうとの論争」住民にとっての科学を考える
5「住民運動の新たな戦略」住民が国に立ち向かうには
6「第十堰住民投票の会の奇跡」住民運動の新しいスタイル
7「表の民主主義と裏の民主主義」公共事業と2つの民意
8「恐るべし勝手連」市民が政治を動かす方法
9 住民投票の成功からなにがうまれたか
10「緑のダム」市民の手で流域の将来像を作る
11「川の学校」本物の川と人のつきあいを作る
12 住民運動からこの国のカタチを考えてみる
順序やテーマ設定は変わることがあります。

6月24日(土)10時00分~16時30分
  25日(日)10時00分~16時30分
7月 1日(土)10時00分~16時30分
   2日(日)10時00分~16時30分

京都精華大学アクセス 京都市左京区岩倉木野町137
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# by himenom | 2006-05-27 02:09

5月25日(木)晴 国交省発表の意味するもの

23日の国交省の発表は、徳島新聞が一面トップ記事で報道した。国交省のおかげでぼくにもたくさんの反応をいただいた。
「うわー驚いた。全国一進んでると思った吉野川で、どうしてこんなことがおこるんですか」
これは県外の方。県内外を問わずこの反応が非常に多い。県内からはこんなメールも来た。「普通の県民にとって、この度の発表がどういう意味を持つのかがとってもわかりにくい。いったいどうなっているんですか。」

「ふうむ、確かにわかりにくいかもしれませんね。ぼくが思うに、いまの吉野川の局面の特徴は、①「各論」の第十堰は目に見える範囲では止まっている②「総論」での対立もあまり見えない、だからわかりにくいのではないでしょうか。物事がはっきり見え出す前はわかりにくいものですが、見え出したときは手遅れということも多い。初期段階での対処が大事なのですね。難しいものです。いいお知恵を貸して下さい。」

こんな返事を書きかけたぼくは、知人みんなに報告メールを出すことにした。以下がそれである。国交省の方針の意味はどう伝わっただろうか。

姫野です。昨日、国交省から新たな動きがありました。19日の四国地整との話し合いは、ブログに書いたとおり何を聞いてもノーコメントでがっかりしましたが、それからわずか4日後のきのう、突然に吉野川整備計画の検討方針を発表しました。
一読して15年前に戻ったような錯覚を持ちました。
河川行政は住民参加型から距離を置き始めているようです。
以下ご報告します。

今回の方針の特徴は、①第十堰問題は先送りする②流域委員会は作らないという2点です。国交省のここ数年の特徴は、可動堰を浮上させはしないが必要性だけはゆずらない、住民や研究者と第十堰について話し合いはいっさいしない、ということでしたから、この傾向が整備計画作りにおいてもはっきり出たという印象です。

第十堰については、吉野川全域でもっとも危険とあれほど吹聴してきたくせに、なんの説明もなく先送りにしました。これは河川管理者として説明責任を放棄したものです。ただ気になる動きがあってそれは、土木学会など新たな御用学者の権威を使って理論的な巻き返しをはかろうとしているのではないかということです。

吉野川のような注目河川では流域委員会は必ず設置されると多くの人は考えていましたが、見事にはずれてしまいました。3分野の意見を聴く会でいくら丹念に意見を聴いても、聞き置くだけとなる公算がきわめて高いと思います。流域委員会との決定的な違いは、議論により計画を練り上げていく場がなく、さまざまな意見のとりまとめは国交省の腹一つとなったことです。

学識者会議のメンバーは旧建設省時代からの審議委員の常連ばかりです。総合的治水策導入のうえで注目されている新しいテーマ、例えば「緑のダム」について新しい知見を主張できる学者は誰も入っていません。国交省は委員の人選を一方的に決めるという最大の誤りをしてしまいました。住民合意は困難になるかもしれません。

昨年12月7日、渡辺河川局長が①徹底した情報公開、住民参加で整備計画を作る②第十堰は治水文化両面から考える③河川整備は森林と一体でやる、と約束したのは何だったのでしょうか。整備計画については地整マターだと言ったのは逃げ口上に過ぎなかったのか、責任ある答えをもらわなければいけません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
-徳島新聞- DATE:2006/05/24 13:01
住民・首長・識者別に意見 吉野川整備で国交省、第十堰以外検討

 国土交通省四国地方整備局は二十三日、吉野川水系の河川整備計画策定に向け、「抜本的な第十堰(ぜき)対策」に先行して「それ以外の吉野川の河川整備」の検討に入る方針を示し、学識経験者と流域市町村長、流域住民の三者に分けて意見を聞く場を設けると発表した。

 早ければ六月にも計画の素案を作り、三者それぞれから意見聴取を始める構えで、計画策定作業を本格化させる。

 この日、徳島河川国道事務所で開いた徳島県との「吉野川河川整備連絡調整会議」の終了後、四国地方整備局の舘健一郎河川計画課長らが県庁で記者会見して明らかにした。

 住民からの意見聴取は、愛媛、高知両県の上流域二カ所、徳島県内で阿波市岩津より上流側の中流域一カ所、岩津下流側の下流域三カ所の計六会場を設け、自由参加の「流域住民の意見を聴く会」を開く。併せてファクス、郵送などで意見を募るパブリックコメントや公聴会も実施する。

 当初の国交省案では県内は三カ所だったが、県の要望で四カ所とした。

 市町村長の意見は<1>愛媛、高知両県の上流域七市町村<2>三好、美馬、東みよし、つるぎの中流域四市町<3>徳島、鳴門、吉野川、阿波各市と石井、松茂、北島、藍住、板野、上板各町の下流域十市町-の三地域に分けて「意見を聴く会」を開催。学識経験者の意見を聴く「吉野川学識者会議」は治水、利水、環境、地域文化などの研究者で構成し、池田早苗徳島大名誉教授ら十八人を選任した。

 国交省は、意見を聴く場それぞれに、河川整備計画素案を議論のたたき台として示す考えで、素案に対する意見を踏まえて計画策定の作業を進める方針。

 三者から意見を聴く会について、舘課長は「各地域の意見を十分に聴くために適宜開く。各会場とも複数回は開くことになると思う」と話した。

 また市民団体から、計画を議論する場に先立って住民参加や合意形成のあり方を話し合う準備会を設置するなど、住民意見を十分反映できる仕組みを求める意見が出ていたことに対し、舘課長は「流域の多様な意見を丁寧に聴き、くみ上げるには今回の方法がいいと判断した」とだけ答えた。

 吉野川の河川整備をめぐっては第十堰可動堰化計画が二〇〇〇年に白紙になったのを受け、国交省が〇四年四月、県の要望を受け入れる形で「抜本的な第十堰の対策」と「それ以外の吉野川の河川整備」を分けて検討する方針を表明。昨年秋の河川整備基本方針の策定を受け、整備計画作りのあり方を検討していた。

 抜本的な第十堰対策については、可動堰以外のあらゆる選択肢を検討・評価するため、戦後最大規模だった〇四年の洪水の分析をはじめ、基礎調査を引き続き行う必要があるとし、いつからどのような形で検討するかは「現段階で具体的に決まっていない」(舘課長)としている。

 
URL:http://www.topics.or.jp/News/news2006052406.html>
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# by himenom | 2006-05-25 19:48

5月23日(火)曇 「吉野川水系河川整備計画の策定に向けて」発表

「吉野川水系河川整備計画の策定に向けて」と題する文書が,今日,国交省四国地整から発表された。向こう30~40年間の吉野川のありようがこの整備計画によって決まってしまう。それがどのくらい大切かは第十堰問題を振り返ってみればよい。現在の計画(当時は吉野川工事実施基本計画と言っていた)が作られたのがいまから24年前の1982年であるが,このときさりげなく盛り込まれた「既設固定堰の改築」という文言が,実は「第十堰の可動堰化計画」のことであることを当時どれだけの人が知っていただろうか。それから10年後の1992年,これが建設事業として動き出すまでは,ぼくもそうだったが,ほとんどの住民はこの事実を知らなかったのだ。公共事業進め方のノウハウに「小さく産んで大きく育てる」というのがあるが,人知れずひっそりと計画に盛り込まれ,後戻りできないところまで進んでからその巨大な姿を現した可動堰計画こそはその典型であろう。それゆえいったん表に出た公共事業はいかに理不尽なものであっても止めることは至難の業であり,住民はそれを第十堰でいやというほど体験したはずである。
 
 そういう意味では,今回の整備計画作りは,住民に巡ってきた30~40年に1度の大事な大事な機会なのである。また国交省にとっても,これからの30~40年は異常気象の常態化というかつてない試練を迎え,ダムやコンクリートの堤防に頼る治水から「あふれる治水への転換」をせざるを得ない,という歴史的課題を背負った重大な機会なのである。大洪水があふれるのを想定した防災計画を立てる,場合によっては計画的にあふれさせることによって被害を減らす,そうしなければ住民の安全は守れない。そういう時代が目の前に来ているということである。(一昨年12名の死者を出した新潟県刈谷田川を見よ)そのような「治水の転換」をするために最も必要なものはなんだろうか。成否を分ける最大の鍵は住民にある。住民が川に関心を持ちそのような川の摂理を理解しない限り「治水の転換」はうまくいかないのだ。新しい治水は「住民参加」を抜きにしては成り立たないといってもよい。1997年の新河川法で掲げられた「住民参加」とはおかざりではないのである。渡辺河川局長が「整備計画作りは徹底した情報公開と住民参加でやる」と強調したのは,それが治水の転換という大仕事のために不可欠の行政手法だ,と決意したからではなかったのだろうか。

 では今回の整備計画作りの方針はどうだったか。本文はわずか3頁と短いものなので目を通して頂きたい。国交省の言いたいことは一読して判った。
①第十堰は先送りにする
②流域委員会は設置しない
まるで15年前の河川行政に逆戻りしたようだがこの2点に尽きる。これが我が国の河川事業で例のないほど住民の関心を呼んだ第十堰の扱いであり,歴史的な治水事業の転換という困難なテーマに対する国交省の基本姿勢であった。これが上記の河川局長発言から5ヶ月もかかってまとめた国交省の方針であった。ぼくは驚きあきれたが,やがてなんだか哀しく可笑しい不思議な気持ちになった。国交省は,要はけむたい住民とは話しあいをしたくない,ただそれだけのことだったのかもしれないなあ,とふと思ったからだ。だが舘計画課長はまだ若いからキャリアであろう。せっかく縁あって四国にきて吉野川40年間の住民の将来を担当したのではないか。河川官僚の誇りをかけて住民とがっぷり四つに組んでもらいたい。あなたがいつまで四国にいるかぼくは知らない。しかし恐らく死ぬまで吉野川を見て暮らすはずのぼくは,あなたが四国地方整備局河川計画課長である限りおつきあいをお願いし続けるしかないのだ。それが住民というものだ。
今回の方針はとうてい納得できない。聞きたいことはいっぱいある。近く先日の約束通り十分な説明をお願いにあがりたい。
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# by himenom | 2006-05-24 02:32

5月21日(日)晴 残念!まるあそび中止

残念!まるあそびは中止となった。19日までの雨で池田ダムが2500トン/秒の放流をはじめたため、メンバーは前日から現地で待機し、すでに到着した参加者には増水の危険を知らせていたが、ついに深夜善入寺島へはいる潜水橋は濁流に沈んでしまった。20日朝7時半中止と決定する。担当の小畠さんのケータイは百数十件の問い合わせで2日間パンク状態となった。

イベントの完全中止は、吉野川シンポ始まって以来初めての出来事である。数ヶ月間、毎週こつこつと準備を積み重ねてきたメンバーの悔しさはいうまでもなく、テレビやラジオでこのイベントを知って期待をふくらませていた多くの人たちもさぞがっかりしたに違いない。昨日の朝、雑魚党の鹿熊さん、奥山さん、山口さんが、FM徳島「グッドモーニングサタデー」に初出演し、お魚に関する驚くべき博識の一端を徳島県民に披露してもらったのがせめても、というところだった。

さて雨の中たくさんの機材を搬入したばかりなのに、てきぱきと中止の後始末をしたスタッフはどうしたかというと、イベント運営の主力部隊となるはずだった「川の学校」の若者スタッフ20名は、その日の夕方には、なんと100キロ以上も離れた野田知佑さんの地元日和佐川に集結していた。来月開講の「川の学校」に備えるべくスタッフ研修に切り替えていたのである。

かれらは、りんさんからアウトドア料理の、雑魚党からは魚捕りの実技指導をしっかりと受けた。こういう転んでもただでは起きないしぶとさと明るさは、吉野川シンポの伝統?であろうか。まことに頼もしい。自然を相手にするとどうしようもない事態に遭遇するわけで、不平や不満をいってもしかたがない。むしろ大らかに受け入れ前向きにとらえ直すというセンスこそが大事なのである。なんだかひとの人生に似ているぞ、住民運動もおんなじだよなあ、と独り言をいいながら五月晴れの日和佐から帰途についた。
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# by himenom | 2006-05-21 15:06

5月19日(金)雨 国交省ノーコメント

 朝から四国は大雨である。吉野川の河川整備計画を話し合うため,高松市の国交省に向かう。道中あすの「吉野川まるあそび」が開催できるかやきもきしていたせいか,高速道を乗り間違えたり降り間違えたりと今日は朝から調子がはずれ気味である。
 四国地方整備局では河川計画課舘課長が応対した。ぼくは冒頭言った。
「かつてのダム審の二の舞にならないよう,整備計画づくりは最初の段階から住民参加で準備会,流域委員会と進めてほしい。こう提言してもう5ヶ月になります。今日はその返事を聞かせてもらいにきました。」
 舘さんはぼそぼそと「まだ決まっていません。方針は近々出します。」と言ったきりで内容についてはなにもしゃべらなかった。参加者7名あきれて顔を見合わせる。5ヶ月前とまったく同じではないか。いったいあなたがたは5ヶ月間も何をしていたのだ。
「いろいろ調整がありますから」と言うので,
「では提言意見はどこからでているのか」と聞くと,
「提言はみんなの会とシンポの一件学者グループの一件の計2件です。あと連絡調整会議で県から意見を聞いています」と言う。徳島県は国交省の方針を待っているだけなので,なんのことはない。整備計画作りに対する意見というのは2件で,しかも2件とも住民参加で準備会や流域委員会を設置せよ,という提言だったわけだ。これでわかった。「調整」というのは四国地整内部のことだったのだ。実は,四国地整はすでに「肱川方式」という流域委員会の実施例を持っている。この肱川流域委員会というのは,日弁連や多くの研究者,市民団体から批判され,「全国最悪の流域委員会モデル」として一躍有名になったもので,かつてのダム審と同じ住民参加を嫌うご用審議会といってよい。2件の提言とは全く違って、新河川法の住民参加型とはほど遠い代物だ。四国地整はどっちをとるか迷っているだけではないのか。そもそもあなたがたは,ダム審を反省してあなたがたの先輩である建設省徳島工事事務所が2001年にまとめた「明日の吉野川の市民参加のあり方を考える懇談会」の最終提言「第十堰問題のいい解決に向けて」を読んだことがあるのか。
 参加者7名は若いのにのらりくらりと逃げる舘さんに次々と質問した。
「でも新しい治水計画の基準データとなるはずの観測史上最大の2004年洪水の解析はしているはずですよね」
「はい解析結果はでています」と舘さんは不機嫌そうに答えた。
 可動堰計画は,吉野川中下流のなかで第十堰周辺が最も危ない,という主張から生まれた。ところが中央橋16700トン/秒という既往最大洪水となった2004年23号台風では,旧建設省の主張とはうらはらに第十地点の水位は計画高水位に2m近い余裕があり,第十堰もこの大洪水にびくともしなかったのだ。他方吉野川流域では各所ではんらんし1289戸の床上浸水被害が出た。第十堰をめぐる旧建設省の主張は訂正してもらわなければならない。新しい洪水計画を作る大前提として,この事実をきちんとふまえてもらわなければならない。ことを勝ち負けやメンツの問題にしてもらっては困るのだ。都合の悪いデータであっても出してもらわなければ困るのだ。約1時間の押し問答のあとお昼のチャイムが鳴ってこの日の話しあいは終わった。私たちはどどっと疲れたが,舘さんが迷いながら漏らした「洪水解析結果」を情報公開請求して国交省を後にした。もちろんこのままでは終われない。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
経 緯  
1昨年12月7日、吉野川河川整備基本方針の策定が、住民そっちのけでおこなわれ、しかも可動堰計画の必要性をにおわせる文言がみられたことから住民無視の古い河川行政を危ぐした住民側が、河川局長と面談した。

2渡辺河川局長は、吉野川の河川整備計画につき、以下3原則を約束した。
①整備計画は「住民意見の反映」「徹底した情報公開、住民参加」で作る
②第十堰は治水文化両面から考える
③森林と一体で河川整備を考える

3続いて21日,四国地方整備局に流域委員会と準備会の設置を提言した。舘河川計画課長は河川局長発言の具体化を責任をもってやると言明した。しかし内容についてはなにも答えず次回に意見交換をおこなうことを約束した。(それが今日の話しあい)
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# by himenom | 2006-05-20 00:37

5月18日(木)曇 「吉野川まるあそび」に雑魚党登場

さて今年のまるあそびは、なんとBEーPALでおなじみの雑魚党がフルメンバーで登場するのだ。そう聞いただけで雑魚党を知っている人はたまらないであろう。昨日に続き「雑魚党」ってなんだ? というひとのために紹介しておこう。雑魚党とは知る人ぞ知る川遊びの達人グループのことだ。以下はユーモアあふれる彼らの自己紹介である。

雑魚党とは
野田知佑さんを党首に結成された川遊びの秘密結社。「一寸の雑魚にも五分の魂」「天は魚の上に魚を創らず」の精神で名もなき生き物たちへの愛と川ガキの復活を提唱。辛口の社会批判もするが、お笑いの得意なネイチャー・インストラクター軍団。平均年齢42歳。アウトドア雑誌BEーPALにて「月刊雑魚釣りニュース」を好評連載中。

まるあそびメニューその1 人間がら曳き
隣の人とハンドインハンドするだけで勝手にジンゾク(ハゼ科のヨシノボリの地元名ですね)が獲れてしまう。雑魚党が開発した川遊びの必殺技。魚にはさわりたいけどミミズつけるのはいやという軟弱な人。ジンゾクの唐揚げでおいしいビールをたらふく飲みたいというひと。・・20日の開会後本部前の川原に集まって下さい。

まるあそびメニューその2 夜遊び漁を補導せよ!ツケバリ川漁師体験
夕方、自分たちが捕った小魚をハリにかけ「ここが怪しい」と思った場所に沈めておきます。何がかかっているかは次の日のお楽しみ。去年はわくわくして眠れない子や大きなナマズが釣れて腰を抜かす子が続出!獲れた獲物はお昼に料理します。

まるあそびメニューその3 雑魚党夜のお楽しみ会
真面目なトークは苦手な雑魚党ですが、大事なことをバカバカしく伝えることにかけては天才級。大いに笑えてちょっとだけためになる、雑魚党らしい出し物を鋭意考案中。ご期待下さい!

という次第である。イベント初日の朝には雑魚党がFM徳島に出演します。20日(土)朝8時30分からの「グッドモーニングサタデー」を聴いてからイベントにどうぞ。ぼくも出ます。
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# by himenom | 2006-05-18 18:43

5月17日(水) 雨 「吉野川まるあそび」が近づいてきた

5月20~21日に開かれる「吉野川まるあそび」は今年で6回目となるアウトドアイベントである。実はこのイベントで吉野川の魅力にとりつかれた人は多くて、今年も全国から吉野川ファンがキャンプ道具やカヌーをもって集まってくる。えっそんなの知らない、という人のために紹介しておこう。

「吉野川まるあそび」というタイトルで善入寺島の中州を開催場所にしたのは2000年からだが、イベントのもとをたどればさらに起源は古く、1994年の貞光町のひろい川原を会場にしたカヌーツーリング「吉野川DAY&NIGHT」にさかのぼる。

このときのメインゲストが野田知佑さん。カヌー一つで世界中の川を旅する野田さんは、日本におけるツーリングカヌーの草分けとして若者に絶大な人気をもっていた。日本におけるアウトドアブームや四万十川ブームは野田さんの存在を抜きには語れないであろう。

吉野川シンポのイベントも野田さんを抜きには語れない。
シンポのイベントのモットーはいつも「自由」と「遊び」であるが、それは野田さんの川の哲学に学んだものだ。いや哲学という以上に「自由」と「遊び」は野田さんの人生そのものである。若者はいつもこんなオトナにあこがれながら大きくなるのだ。

今回の「吉野川まるあそび」初日の夜は、吉野川の広大な川原でたき火を囲みながら野田さんの世界の川の話を聞く。興に乗れば野田さんのハーモニカ演奏も飛び出す。2日目は野田さんと10キロのカヌーツーリング。ここは吉野川中下流でもっとも吉野川らしい風景が連続する区間である。広い川原とうっそうとした竹林で両岸の堤防が見えない。こんな川の風景がまだ日本にあるのだ。初心者でも楽しめるのがいい。(続く)
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# by himenom | 2006-05-17 15:20

4月24日(月) 河川整備基本方針策定のあと第十堰はどうなったか

あすは、徳島県知事宛の質問書を提出する。
かんじんの吉野川の河川整備計画づくりは依然五里霧中で
国交省の鉄のカーテンのかなたである。
そのうち出てはくるのだろうが、
忘れるといけないので、その経緯を残しておこう。

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河川整備基本方針策定のあと第十堰はどうなったか
(2月28日第十堰日誌より)
もう3ヶ月も前の話になるが,前回の第十堰日誌に吉野川水系基本方針を活かそうと書いた。ぼくはその刷り上がったばかりの吉野川だよりを日弁連のシンポジウムに持っていって,来ていた布村国交省河川計画課長に名刺代わりに謹呈した。布村さんは全国の河川整備基本方針策定作業の総元締めであり,4日後には吉野川の住民と河川局長の対談が決まっていたから,布村さんはきっと読むはずだとぼくは考えたのである。
  さらに対談に先立って住民側は次のようなメッセージを河川局長に送った。
「新河川法の理念と新方針の上記目標を、河川整備計画に具体化しなければならない。環境を守り総合治水を行うためには住民参加が不可欠であることを認識し、私たち住民は、大事のためには小事にとらわれず,勇気をもって新しい一歩を踏み出したいと思う。」 河川局長がこれをどう受け止めるかが楽しみだった。

  12月7日,国交省の会議室で,渡辺和足(わたる)河川局長は 「整備計画づくりはすべて整備局マターである」 と断った上で 「私はその総論を言う」と続けた。河川局長が投げ返したボールは要約次の通りであった。ぼくは三原則と呼ぶことにした。
  ①整備計画は 「住民意見の反映」 と「徹底した情報公開と住民参加」 で作る。
  ②第十堰は治水,文化両面から考える。
  ③森林と一体で河川整備を考える。
  この原則に異論はない。 もしこの三原則がきちんと守られれば,14年間の第十堰問題は,解決に向けて大きな一歩を踏み出すことになるはずである。
  だがこの三原則はどのように具体化されるのであろうか。なにしろ総論と各論の使い分けは「官僚文化」と言えるほどに見事であるから油断はできない。四国地方整備局と意見交換会をした。吉野川の河川整備計画作りの責任者は四国地方整備局の舘河川計画課長という方であった。河川局長は 「整備計画づくりはすべて整備局マターである」 と明言したにもかかわらず,舘さんはほとんど語ってくれなかった。結局,河川局長の上記発言を確認したこと、その具体化は「整備局として責任を持ってやる」と明言したにとどまった。暮れも押し詰まった12月21日のことである。
  この日住民側は「三原則」実現のために,大切な提言を持参していた。流域委員会の設置の提言である。流域委員会とは、河川整備計画を作るに先だって、学識経験者がその方向性や骨格をとりまとめる委員会であり、どこの川でもその後の整備計画を大きく左右している。住民側は次の提言した。委員会は運営の独立性をもつこと、委員の人選はだれもが納得できること。この2つの原則を実現するために、委員の選定委員会、準備会、流域委員会という開かれた手順をとることである。ここでボタンを掛け違えると取り返しがつかないことは、国交省は98年の第十堰ダム審でいやというほど経験したはずだ。実は住民側がおこなった提言は,かつて国交省自身が設置したあり方懇談会がダム審を反省してその最終提言に盛り込んだ核心部分だったのである。だがこの日舘さんは何も言わなかった。吉野川は再び全国の注目を集め始めていた。
 
 年が変わった1月20日、学術界から動きが出た。「吉野川では河川管理における住民参加を巡り、全国に先駆けて住民運動が行われ、それが現在まで持続しているという、全国他に例のない特徴を有し、その経緯は各種の学術書、一般書に記述され、全国的に注目されている(例えば小林編、2002、上田、2003、嘉田編、2003、蔵治・保屋野編、2004、原科編、2005など)」 として、「日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト 青の革命と水のガバナンス」 という研究グループが、吉野川の流域委員会のありかたについて四国地整に対し,学術的視点から提言をおこなったのである。
  このグループは全国の流域委員会を研究している専門家集団であり、その提言は各地の経験に裏付けられた具体的なものでたいへん参考になる。①流域委設置に際しては住民代表が過半数加わること ②準備委員には他の流域委員会の経験がある学識経験者が加わること ③委員長は住民参加と合意形成の分野で十分な実績のある学識経験者とすることが ④流域首長の委員は避けるべき ⑤河川管理者はアドバイザーとして協力する。会議および資料は全面公開する。
  この提言からもさらに1ヶ月がたった。国交省四国地整はどう動いたか。不思議なことに動きが止まってしまったのである。年内に徳島県に示されるはずだった整備計画策定の道筋は,いまだに宙に浮いたままである。ぼくは四国地整の舘課長に 「どうなっているんですか」と電話をした。舘課長は「まだ何も決まっていません」 と3ヶ月前と同じ返事をした。河川局長のキーワードはどこへいったのだ。いくら聞いてもそれ以外何も言わなかった。なぜ動きがないのかわからない。だが国交省内で何かがおこっている。
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# by himenom | 2006-04-25 00:02

4月22日(土)雨 鮎喰川で川の学校スタッフ研修

毎年桜の時期になると川の学校のスタッフ研修キャンプが始まる。
スタッフは全国公募し,今年も20代中心の若者が14人集まった。
5期スタッフのちゃむ君は長野から通ってきたが,
今年も遠く千葉の青年がいる。
特別研修スタッフとして現役の小中学校教師もいる。
全員ボランティアなので,文科省の助成金が出る年は別だが,
徳島までの交通費も原則自費という厳しさである。
さらに子どもの命を預かるのでボスである小畠ちちの指導は厳しい。
だから若者たちは1年間でぐいっと成長する。
土曜日の雨の中ぼくは彼らにハエ釣り講習をした。
清流鮎喰川の水の美しさに彼らは目を丸くしていたが,
ぼくの実技講習の時間には一匹の魚も釣れず,
講師の責任を感じたぼくは,実技の不振を取り戻そうと
夜の講義にさらに力がはいってしまい,
彼らはいっそう疲れが出たようであった。
今年も川のシーズンが開幕した。
みんなよろしく。
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# by himenom | 2006-04-24 00:38

4月16日 曇  激論!改憲のための国民投票

近来になくおもしろかった。日曜日高松市で行われた「改憲のための国民投票」を考えるシンポである。主催したのは香川大学法学部のフツーの学生たちである。ブログをのぞいてみてほしい。街頭アンケートもやったそうだ。憲法と聞いただけで「うえっ」と拒否反応を示す学生に,ショックを受けつつも,生まれて初めての記者会見もやってしまう。ひょうひょうとした雰囲気で「憲法」を扱っているのがおもしろい。ぼくの世代だと肩に力が入ってなかなかこうはいかない。
パネリストもよかった。自民,公明,民主,共産,社民の全政党の議員さんが集まっているうえに,さらにいいのは肩書きだ。国会議員が2人,県会議員が2人,市会議員が1人という顔ぶれ。政党のカンバンとも言える憲法問題のディスカッションに,こんなバラエティに富んだ肩書きのパネリストが一堂に会したことがこれまであっただろうか。直接民主主義の国民投票を考えるにふさわしい。いや冗談ではなく,こういう雑然さこそが,物事の本質にせまり,ひとびとの関心を広げ,新しい発見を生むのである。こういう舞台をみるとわくわくする。

会場で国民投票法を作ることに賛成か反対かの全員アンケートをしたら,反対が多い。
ぼくは驚いて考え込んでしまったのだが,たしかに気持ちはわかる。国民投票法制定は自民党が仕掛けたもので,ねらいは9条改正にあるからである。9条擁護派にすれば国民投票法の議論は9条改正の一里塚と映るのだ。そこで9条という本丸を守るためには,国民投票法制定阻止という外堀防衛戦をしなければいけないというわけだろう。
しかしぼくは賛成の方に手を挙げた。
憲法96条の改憲の国民投票は,国の政治や行政を国民が直接コントロールできる唯一の直接民主制で,この結論には国会議員も官僚も束になっても絶対にかなわない。
国民主権の切り札,まさに伝家の宝刀なのである。民主主義の錦の御旗なのである。
なぜ9条護憲派のひとびとは,この錦の御旗を高々と掲げて,戦後60年憲法空洞化と解釈改憲の歴史やこの国のありようを,国民に問いかけていかないのだろうか。だが護憲派はその錦の御旗を持とうとせず,持っているのは逆に9条改憲派なのである。この構図は,長年権力の座にあった人びとが国民を「主権者」と扱おうとし,国民の側にあると自負してきた人びとが国民に不信を持ちその主権行使をさせまいとしている図なのである。
これは根本的にまずいのではあるまいか。まずい,まずいと思っているうち,この選挙は郵政民営化の国民投票だ,と絶叫して圧勝した小泉さんの姿を思い出した。
3時間はあっという間に過ぎた。パネリストも参加者もまだまだ言いたそうだった。
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# by himenom | 2006-04-19 02:10

4月3日(月) 晴 第十堰のお茶会

きのうは第十堰の石畳でお茶会。
不思議なことだがここにいくと一週間は腹が立たず,
毎日にこにこといい気分で過ごせる。
いい温泉にはいるといつまでもほこほことして,
外界の寒さもかえって気持ちがいい,そうあんな感じなのである。
ぼくのお気に入りのイベントのひとつだ。
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だが春のお天道様は気まぐれで,この日
ぽかぽか陽気から,一転して突風,そして雷雨になった。
参加者たちは大あわてで飛んでいきそうなテントにしがみつく。






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お茶会が終わる頃に雨はやんでまた春の青空になった。








この日の見所は,国交省の補修した青石の石畳。
できあがったばかりのほやほやである。
なにしろ青石の補修は30年ぶりの出来事だ。
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b0050788_2351219.jpgこれは補修というわけではないが,昭和40年代の三角ブロックの間にも青石が詰められている。
青石を小さく切って,両手で一つずつ並べていったのに違いない。
工事の情景が浮かんでくる。
第十堰に遊びにきたこどもたちがあぶなくないようにと並べていったやさしい心遣いが伝わってくる。
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# by himenom | 2006-04-04 00:02