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9月28日(木)晴  「30日にぶっつけるか」

あさって9月30日はみんなが楽しみにしていた「吉野川まるあそび」の日だった。
それは5月の集中豪雨で延期となっていた大事なイベントだった。
しかも今回は久しぶりで第十堰でおこなうことになっていた。
吉野川に関係する多くの団体が集まり、ブース展示をおこなう。
ところが国交省は、なんとこの日に
吉野川流域住民の意見を聴く会」をぶっつけてきたのだ。

意見を聴く会の開催を、新聞に載せたのが9月21日だから、わずか9日前だ。
多くの人は、すでに週末の予定を入れてしまっている。
前回109名中12名しか意見を言えなかったことから追加開催したはずなのに、
意見が言えなかった参加者へ連絡さえもしていない。
しかも会場は一般になじみのない徳島大学工学部の教室だ。
わざわざ意見を出にくい条件を選んで開催しているように見える。
いったい国交省は何を考えているのか。

向こう30年間の吉野川の河川整備の計画をどんな方式で作るか。
国交省は、計画の議論をするための「流域委員会」の設置を拒否し、
各方面からの「意見聴取」をくりかえす方式で、河川整備計画を作るのだという。
この方式の最大の問題は,継続的な議論の場が保障されていないため、
住民意見を反映するかどうかはすべて国交省の腹ひとつ。住民関与の余地がないことだ。
おまけに、この方式は徹底して秘密裏に進められ、抜き打ちで発表された。
いまもなお十分説明しようとしない。
これが、国交省河川計画作りの先端現場である。

不思議なことに、今回、第十堰の検討は先送りされている。
その理由は、2年も前の史上最大洪水の解析ができていないからだという。
冗談をいってもらっては困る。2年間なにをやっていたのか。
解析はとっくに出来ているはずである。
先送りにした本当の理由は、23号台風洪水で第十堰の検証をすると、
第十堰の安全宣言をしなければならなくなる。それが怖いのではないか。
それが怖いのは、可動堰への強い未練があるからではないのか。

もし可動堰の再検討が、この方式で始まったらどうなるか、考えてもらいたい。
だから、9月30日は、たくさんの人に行ってほしい。
思っていること、疑問点、をいっぱい国交省にぶつけてほしい。
なによりも、議論の場が必要だ。
納得のいく応答を求め続けなければいけない。

「吉野川流域住民の意見を聴く会」
9月30日(土)13時~17時
徳島大学工学部共通講義棟6階
(徳島市南常三島町2-1)
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by himenom | 2006-09-29 01:20

9月26日(火)晴 大河津可動堰と第十堰

刈谷田川の翌日、日本の近代治水史に名を残す大河津分水を見た。
ここでは、平成12年に信濃川本流川にある洗堰(吉野川で言えば第十樋門のようなもの)が全面改築され、平成15年からは放水路側にある可動堰の全面改築が始まっている。
b0050788_1942852.jpg
「改築事業」の必要理由は、①老朽化 ②堤防洗掘 ③流下能力不足(せきあげ)。あれ、どこかで聞いたような・・・。そう「第十堰改築事業」の説明と、瓜二つなのであった。違うのは、可動堰のスタイル。円弧状に回転するラジアルゲートという新方式が採用されたのは、第十堰問題に学んだためと思われる。

この大河津可動堰と第十堰という2つの堰は,玄人筋では,歴史的構造物の改築という点で共通点を見る向きもあるかもしれないが,ぼくは決定的に違うと思う。大河津可動堰は大正11年近代技術の粋を集めて作られた生粋の可動堰,第十堰はその170年も前の宝暦2年日本の河川伝統技術の粋を集めて生まれた石積み堰。基本思想が大きく違うのだ。

大河津分水は山を切り裂き地形を激変させた人工放水路だったが、吉野川はもともとあった別宮川に放水路としての機能を持たせたにすぎない。大河津可動堰は全面的水制御を理想とするが、第十堰は川への最小限の関与を良しとする。結果、第十堰は254年たってなお健在だが、大河津可動堰はわずか70年で老朽化した。維持管理は第十堰が年間数千万円,大河津分水施設施設はその数十倍であろう。大河津分水によって新潟平野は、洪水の悩みから解放され、屈指の米作地帯となったが,第十堰を可動堰化することによって吉野川流域の住民が得るものはなにもない。

大河津分水を見た後、足をのばしたいところがあった。良寛さんの生誕地、出雲崎である。
「災害に逢う時節には、災害に逢うがよく候。・・・是はこれ災害をのがるる妙法にて候」
良寛さんの禅僧らしいこの言葉を,ぼくは 大熊孝さんの名著「洪水と治水の河川史」(平凡社)で初めて知った。14年前の暑い日だった 。
大河津分水から日本海へ抜ける途中、偶然,国上山「五合庵」の矢印を見つけた。貞心尼が通った良寛さんの庵だ。寄ってみたかったが、きっといつか来るような気がして、結局寄るのはやめにした。
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by himenom | 2006-09-26 19:41

9月20日(水)晴  刈谷田川第二の教訓はどう生かされたか

おとといのブログを見てさっそくメールをくれた方がいた。
「刈谷田川治水にとって200m3/sのピークカットは、利根川治水における渡良瀬遊水地にも匹敵するものと思いました。渡良瀬遊水地が純然たる治水計画の中から生まれたものでないことを勘案すれば、治水思想という点ではしのいでいるといっても過言ではないと感じます。特に、今のご時世でこれをやるということは、通常の遊水地計画とは明らかに一線を画していると思います。膠着化している河川行政をブレークスルーするための試金石となりえるのではないでしょか。」

新潟県の河川技術者のみなさん。刈谷田川遊水地はやはり注目されていますよ。自信をもってがんばってください。

さて、黄金色の稲穂が広がる広大な遊水地を見たあと、訪れたのは中之島町の破堤現場である。
「同じ越水でも破堤箇所の被害は深刻です。あふれても壊れない堤防が急務ですね。」
ぼくの質問に,案内してくれた県の職員は「あふれても壊れない堤防は事業目標にはなりません」と答えた。ぼくは思わず首をかしげ,パンフレットを見た。

b0050788_114617.jpgたしかに「7.13水害規模の洪水を安全に流下できるようにすることを目標とします」と書いてある。
そうか。これは、①遊水地で水を貯めて下流への流量を減らし②河川敷を掘削し河道を直線化して川の容積を増やす、という事業なのだ。あふれるのに備え堤防対策をする事業ではないのだ。再び7.13と同じ洪水が来たときには、今度こそあふれないようにする、というのが目標なのである。だからそれ以上の洪水は想定しない。

「結局それではいたちごっこじゃないですか」

と言いかけて、ぼくは言葉を飲み込んだ。彼らは、すべてわかっているのではないか、と思ったからである。
未曾有の超過洪水だった7.13水害から学ぶべきことは、1993年ミシシッピー川大洪水におけるアメリカがそうであり、2002年エルベ川大洪水におけるドイツがそうであったように、洪水対策の基本を「減災」路線へ転換させ、氾濫原管理を導入する、絶好の機会だということではなかったのか。だからこそ、県は中流で広大な遊水地を確保し、あふれる治水へ第一歩を踏み出した。ならば、密集地を抱える下流域では、まずは超過洪水でも壊れない堤防へ力を注ぐべきではなかったのか。

現場の技術者はわかっている?わかっているならなぜできないのだろう。再びパンフレットを読み直して気が付いた。その原因は事業予算の仕組みにあるのではないか。刈谷田川の事業は、災害復旧制度で行われているため「原型復旧」と「その改良」という範囲でしか事業化が認められず、それが大きな制約となっているのではないか、という疑問である。

災害復旧制度の仕組みはこうだ。単なる「災害復旧事業」であれば被災施設の原形復旧工事をおこなうだけだが、原型復旧だけでは再度の災害発生を防げない場合には「災害復旧助成事業(助成事業)」という改良事業をおこない、その結果下流で流量が増えるのに対応するためには「河川災害復旧等関連緊急事業(復緊事業)」という改良事業をおこなう。刈谷田川の事業はこの助成と復緊の二事業約500億円なのである。

下流で流量が増えるのを「改良」としている点に注目してほしい。この矛盾こそ河道主義治水の宿命なのであり,だから今回新潟県が、逆に、この助成事業を使い、遊水地を作って、下流の流量を減らすという「本来の改良」をおこなったのは見事というほかはない。
もし続けて下流部であふれても壊れない堤防づくりが始まっていれば、日本の治水史上の記念碑となったに違いない。だが洪水を河道に集めるのを「改良」とみる治水観からは、ついに「あふれても壊れない堤防」は「改良」とは認められなかったのであろう。国交省の石頭がまことに残念である。
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by himenom | 2006-09-21 01:08

9月17日(月)曇 刈谷田川の遊水地


我が国「最先端」の治水事業を紹介しよう。先週,新潟県の刈谷田川に行ってきた。
2004年7月13日、想定を遙かに超える洪水が発生して、上下流6カ所の堤防が決壊し、死者12名を出す被害が出た。この水害の教訓は2つあって、①堤防をあふれる大洪水は必ず発生することを想定べき。従って、②あふれても決壊しない堤防にしないといけない、ということである。

b0050788_0294942.jpg新潟県の打った対策は思い切ったものだ。中流域の川沿いにある90haの水田を広大な遊水地として,ここに200m3/秒の洪水を遊ばせることにしたのである。下流の密集地であふれる前に、計画的に、人家が少ないところであふれさせてしまう。意図的にあふれさせることで、大洪水を分散させ、要所を守る,という古来の治水戦略を復活させたのである。

そのしくみはこうだ。まず堤防の一部分をあらかじめ他の高さより2~3m低くしておく。川が増水して水位が上がってくると,この部分から田んぼへ水があふれでていく。いわゆる越流堤である。
b0050788_0302367.jpgこの越流堤は,遊水地の下流部に作るため、田んぼに流れこむ水は回り水となってゆっくりと、上流側に向かってたまっていく。最大水深3m程度となるが、流れ込む水は上水(うわみず)なので、土砂は田んぼに入らず、万一入った場合は県が撤去する。川の水位が下がれば、遊水地に入った水も出て行く。県の予想では24時間程度で水が引くと見ている。その洪水調節能力は現存する刈谷田川ダムを上回るという。

では、この遊水地の田んぼは県が買い取るのか。刈谷田川遊水地は地役権方式をとった。
地役権(ちえきけん)とは、自己の土地の便益のため他人の土地を供させる権利のこと。河川(自己の土地)の流下能力の増加(便益)のために田んぼ(他人の土地)に川水をためる権利(供させる)。これが遊水地役権である。県は、地役権設定の対価として、地主に取引時価の35%を支払って、河川区域に組み入れるのだが、土地の所有権を買い取るのではない。地主はこれまで通り耕作地として利用できる。ただ洪水時川水が入ってくるのを受容しなければならないだけである。

ぼくは、この地役権方式の遊水地は、次の理由で、画期的な方法だと思っている。
巨大洪水対策は河道だけでは不可能で氾濫原管理を伴わざるを得ない。氾濫原管理とは,大洪水時のみ川になる土地利用を社会のしくみに取り込むことだ,とぼくは理解していて,そのためには「官地か民地か」の二分法は硬すぎる。地役権遊水地がいい点は、私的利用をする私有地でありながら同時に公共用地(河川区域)でもある,という柔軟さにある。たいへんなのは行政と住民の協働が不可欠で、行政も住民も意識変革をせまられる点だろう。だが縦割り行政の壁を越えて流域主義治水(総合治水)を実現するためには、このような実践を通した互いの意識変革こそが大きな役割を果たすと思うのだ。

県の職員は、地主たちに「洪水を遊ばせる」ことの大切さを説いて回ったという。破堤という被害体験もプラスに作用しておおむね理解を得ているようであるが,「これからも試行錯誤の連続です」と苦労は絶えないようである。だがその苦労は、時代を前に進める価値ある苦労である。大きな災害を出した刈谷田川であるがゆえに挑戦できる苦労である。どうかがんばっていいモデルを作ってほしい。刈谷田川遊水地はぜひ成功させてもらいたい。

このように,新潟県は「7.13水害」の第一の教訓「堤防をあふれる洪水は必ずくる」を,遊水地の創設に生かしたのだが,では第二の教訓「あふれても壊れない堤防にすべき」はどう生かされたのか。(続く)
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by himenom | 2006-09-19 00:33