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8月18日(金)雨  祝!アカメ発見 吉野川水系で初

アカメはやっぱり吉野川にもいた!
アカメという謎の巨大魚をご存じだろうか。成長すると1.5m30kgを超える日本最大のフィッシュイーターで,四万十川など太平洋側の川の汽水域をすみかとしており,徳島県では浅川湾につながる海老が池(汽水湖)のアカメが有名だった。それが,吉野川河口(支流鮎喰川の合流点)で初めて捕獲されたのだ。その徳島新聞記事を見て胸がときめいたのはぼくだけではあるまい。

汽水域というのは不思議なところだ。川でありながらその流れはある時は海に向かい,ある時は山に向かう。海水と淡水が混じり合い,海の魚も川の魚もともに生息できる場所。海であるとともに川であることがゆるされる場所。太古,人類の祖先たちが大地という新天地を目指したのも,ここからだった。茫洋としてとらえどころがなく,ただ豊かさにみちている。

「吉野川にはなあ,1mのチヌがおるんよ。わしは潜って見たんじゃ」という川漁師の矢田さんのほら話も,そら吉野川の河口ならおるかもしらんなあ,と思わせてしまうのが汽水域というものである。ここに1.5mのアカメが,ルビー色の目を光らせて悠然と泳ぐ姿を想像するだけでもう胸が躍る。
 こんな汽水域が26万都市の中にあることが,奇跡のような気がする。
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by himenom | 2006-08-19 01:39

8月9日(水)晴 吉野川の汽水域

NHKの夕方のニュースを見ていたら,突然,吉野川河口の映像が出てきた。「汽水域」の特集らしい。河口のシジミ漁の様子。じょれんに入った吉野川のヤマトシジミは,阿波踊りの踊り子が履く下駄のようにつやつやと色っぽい。「この時期は身が詰まっておいしいんよ」と川漁師の矢田輝彦さんのナレーションが入る。このあたりのシジミのみそ汁は汁の量より,シジミの量の方がはるかに多くて実にうまい。これが吉野川の味覚としてこどもたちに一生刷り込まれてしまうのだ。これを飲めば親父の二日酔いも一発で解消する。なんという幸せ。

b0050788_28269.jpg画面は夕方の第十堰へ飛ぶ。きょうの第十堰は力強く水が越流していて,第十堰は流れの中に隠れ川底となりきっている。堰上ではいたるところコサギが獲物をねらっている。第十堰は水の中でありすべてが魚道であるから,川の先住民たるお魚に「ここを通りなさい」という人工魚道のあつかましさがない。見ていると気持ちが和む。
カメラマンは,真水と塩水がまじりあう汽水域特有の現象である水中の水のゆらぎ(ウイスキーの水割りや砂糖水をつくったときにゆらゆらと透明のカーテンが揺れているような現象)を見せたかったらしい。
その周りの水中にはキビレやスズキの子やハゼの仲間などがいっぱい泳いでいる。第十堰が石積みで漏れる構造(透過構造)であるが故に,生命のゆりかごと言われる吉野川の汽水域が250年保たれてきたのだ。
惜しかったのは,第十堰に居着いているはずのアユの映像がなかったことだ。第十堰には今なお青石の基礎石が無数に積まれており,ここにアユが縄張りを張っている。b0050788_222793.jpg海から150キロの旅をする豪のアユがいるかと思えば,わずか14キロで旅をやめてここで一生を過ごす(といってもアユは年魚なのでわずか半年間)落ちこぼれ的ずぼらアユもいる。アユにもさまざまな個性がありそれぞれの人生があるのだ。ぼくは,そんなずぼらアユを遠来の客に見せたくて,第十堰を案内するときは,必ず裸足になってもらって,ズボンをまくりあげて,このアユたちの縄張りに行く。国交省が作ったどこのダムにこんな光景があるだろうか。

 NHKは,いま今後30年先の吉野川の姿が決められようとしていることを知って,この特集を組んだのだろうか。国交省の河川整備計画素案について,5日の住民意見を聴く会の報道記事に徳島新聞は「環境保全目標明示を 吉野川整備計画、下流域住民が要望 」という見出しを付けた。6月27日開かれた学識者会議でも,専門家委員から同様の強い意見が出ていた。素案における環境保全計画を一度見ていただきたい。すべて「努める」のオンパレードである。行政が「努める」という用語を使うときは,なにもしない,という意味だというが,具体的な環境保全目標が設定されていないのだ。「昭和30~40年代の吉野川の環境を回復する」こんな環境目標を盛り込んでもらいたい。一瞬で、住民は整備計画の目標を理解し,整備計画は「官のもの」から「流域住民のもの」へと変わっていくに違いない。
 ニュースは下流側から第十堰を映していた。第十堰の向こうの広々とした川面が夕日に染まり,お日様はやがて吉野川の川面に隠れていく。ぼくが会議に出かけようと事務所を出たらでっかい太陽が西の空に沈もうとしていた。吉野川大橋を渡る頃には,こんどは満月が河口からのぼり始めていた。これまたでっかくて見事な満月だ。この風景が大河吉野川の風景なのである。今日,何人の人がこのぜいたくなひとときを味わっただろうか。
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by himenom | 2006-08-10 02:00

8月6日(日)晴 住民の意見を聴く会は「吉野川方式」になるのか

きのう徳島市で「吉野川流域住民の意見を聞く会」が開かれた。
吉野川の計画作りの手法は、住民参加のしくみの一環としてここ数年全国的にほぼ定着したかに見えた「流域委員会」を設置せずに、まず国交省が河川整備計画の素案を作成し、これについて「意見聴取の会」を複数回開催して学識者、流域住民、市町村長から意見を聴き、素案に修正を加えながら河川整備計画を策定する、というものである。

この方針は今年5月に発表され、6月にほ計画素案が発表され、7月から住民の意見を聴く会が4回、市町村長の意見を聴く会が3回、学識者会議が1回開かれてきて、昨日の徳島市と今日の四国中央市(愛媛県)で全ての会が一通り開かれたことになる。
国交省は、今年度中にこれらの会を3回ほど行い、素案の修正を繰り返して、計画を作る予定だとしている。そこでぼくは「30年先の吉野川の姿を決めるのだから徹底的な議論をすべきではないか」と質問し、国交省四国地整の舘課長は「回数も時間も制限しない」と答えた。

だがこの日、住民に与えられた時間は1時間あまりしかなく、司会者は、質問を一人2点に制限して国交省との質疑応答をおこなったが、それでも発言できたのは109人の参加者中わずか12人でしかなかった。特筆すべきはほとんどの住民の意見が、地域陳情型ではなかったことである。地域利害からではなく、新河川法の理念に沿った格調高い意見がつぎつぎと続くものだから「レベルの高い会でしたね」と記者さんたちが驚いた。

これに対し国交省の回答は、ほとんど「お聞きしました」に終始し、都合の悪いいくつかの質問では答えず、はぐらかすという対応が目立ち、司会者から「それは違うでしょう」と指摘される場面さえあった。要するに意見は聴くだけで,議論をおこなう誠実な姿勢は見られず,これでは欠陥の多い素案に少々手を入れただけで終わってしまうのではないか,と感じた人が多かったはずである。

ひどいのは,いくら聞いても第十堰の検討方針の説明はしなかったことである。だが何度でも聞く。10年間第十堰は吉野川治水上最大の危険個所と言ってきたのは誰なのか。そんなに危険なら6年間も放置したうえ肝心の整備計画作りに先送りできるはずがない。先送りの理由が2年も前の洪水の基礎的な解析が出来ていないからとは恐れ入る。なぜ第十堰以外が解析できているのに第十堰周辺だけできていないのか。県民を馬鹿にするにもほどがある。

この日,舘課長は「抜本的な第十堰の検討とは30年スパンの問題であり,今回の整備計画に必要な作業である」と答えた。ならば国交省には最低限次の義務がある。まず6年間放置し今回先送りしても第十堰は安全であることを県民の前に説明することである。つぎに現在何を調査しているのか,今後のスケジュールはどうなっているのかを説明することである。これらは河川整備計画の進め方の前提として不可欠の説明である。

この説明を求めた質問に舘課長は答えなかったが,この日の司会をしたNPO法人コモンズの沢田さんは,再質問を禁止した。沢田さんはそつのない見事な司会ぶりであったが,この質問は河川整備計画の進め方の問題であり,いわばボタンの掛け違いが起こるかどうかの大事な問題であるのに,これを禁止したのは疑問と言わざるを得ない。

コモンズは,国交省の委託を受けて,中立・独立の機関として,意見を聴く会の進行方針を決定し運営する役割を担っているのであるから,整備計画に「流域住民の意見を適切に反映させる」ためには,河川管理者が一方的に意見聴取する場ではなく,お互いに議論を積み上げ理解を深めていく場となるよう,会を進行されるべきであろう。

そのためには,今回(1時間しかとってなくて、3回をめどというのにこだわっているように見えた)はともかくとしても,次回からは十分な議論ができる時間を確保することが絶対的に必要であり,言えないひとは用紙に書いて出してほしいなど軽々しくいうべきではない。議論を効率的にかつ中途半端にならないようテーマごとに議論をする場など複合的な運営形態も必要となろう。なによりまずはきのうの意見質問について言い放し聞きっぱなしにならないようデータに基づいた国交省の説明を求めてもらいたい。
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環境保全目標明示を 吉野川整備計画、下流域住民が要望 (8月6日付徳島新聞)

 吉野川水系河川整備計画の策定に向け、国土交通省四国地方整備局は五日、吉野川下流域を対象にした「吉野川流域住民の意見を聞く会」を徳島市内の県建設センターで開いた。

 具体的な環境保全目標や森林整備に関する記述を計画に盛り込むべきだとの意見のほか、流域意見を計画に反映させる過程に住民参加を求める声が上がった。

 百五十人の定員に対し、住民百九人が参加。国交省側が会の運営ルールや整備計画素案の内容を説明した後、一時間余りにわたり、参加者が意見や質問を述べた。

 治水、環境面では「森林が治水、水質に果たしている役割は大きい」と森林整備の重要性を強調する意見が出され、河川改修にとどまらず流域全体で治水を考えるため、農林水産省など他省庁と連携した取り組みを望む発言もあった。

 また自然の状態に近い護岸整備をはじめ、治水と環境保全の調和や、絶滅危惧(きぐ)種の保護で環境保全目標の明示を求める声も出された。

 利水では「新たな渇水対策を具体的に示していない」との批判や、早明浦ダムなどの開発を通じた分水の歴史や分水量の内訳を計画に明示してほしいとの要望も。環境学習など住民の河川空間利用を促す国の施策展開に関しては「理念だけでなく、日常から住民との関係を築く行動や場づくりを明記すべきだ」との指摘もあった。

 一方、整備計画づくりの進め方に対し「住民意見を聞いても意見反映の過程を国交省が一元的に握っていては住民参加といえない」などとする不満が目立ち、住民参加で合意形成を図る流域委員会の設置や意見を聞く会の回数、時間をできる限り多く取るべきだとの提言も出た。

 このほか、今回の吉野川全体の整備計画づくりと分けて検討される抜本的な第十堰(ぜき)対策のあり方に関し「先送りし続けるのは河川管理者として無責任だ」との批判も。同整備局の舘健一郎河川計画課長は、抜本的な第十堰対策をいつから検討するかは明言しなかったが「第十堰対策も今回の整備計画と同様の視野でやっていく」と述べ、今後三十年間を計画対象期間とする形で検討を進める考えを示した。
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by himenom | 2006-08-07 01:56

8月4日(金)晴  あす吉野川流域住民の意見を聴く会

猛暑が続いている。ホントは先週の北海道の続きがあって,肝心の酪農学園大学のことは書いておきたくて,とりわけこんな暑いときにはいいのになあ,と残念なのだけれど,時間がない。野田知佑さんの最新刊「今日も友だちがやってきた」(小学館)もすばらしく,その紹介もしたいのだが,悔しいことに時間がない。「川の学校」と吉野川の魅力満載,とっておきの川遊びのノウハウも公開,これを読めば今年の夏休みが楽しくなること間違いなし,とだけいっておこう。
 
なぜそんなに,ばたばたしているかというと,あすは徳島市内で,国交省の「吉野川流域住民の意見を聴く会」というのがあるからである。上中下流の6会場でおこなう催しで,あすで5回目になる。なんのためかというと,国交省が今後30年間吉野川に手をいれる計画を作るにあたって「住民の意見を(一応)聴取しておこう」と考えたからである。「一応」とぼくが書き添えたわけは,住民参加の建前上こんな場も作らざるをえない,という国交省の態度が見え見えだからである。たとえば,国交省の計画素案は印刷物にさえなっていない。見たい人はHPで見ればよいという理由でもともと刷る予定はなかったというからひどい。ほとんどの住民は目にすることがないに違いない。むこう30年の吉野川の姿を決めるのにこれでいいのだろうか。
 
この会の性格を最も現しているのが「聴取」の一言である。吉野川の整備計画について住民と「議論する」のではなく住民から「意見聴取」をしたいということである。「議論の会」でなく「聴取の会」にしたかったのだ。国交省が,全国の一級河川109水系のうち約半数で設置し,ほぼ定着しかかった流域委員会を,今回あえて設置しなかった最大の理由はこの点にあるといってよい。国交省は住民と話し合い議論をしながら計画を作る,という方式はしたくないということである。そのために,この方式の発表は,最後の最後まで,秘密裏に進められた。なぜそうしたのか,国交省はいまなおまともに説明しない。
 
権限を持つ国から,地域ごとに分けて「意見を聴く」と言われれば,「いつも地元がお世話になっております。さらにお願いできますならわが地域に○○対策をどうかよろしく」の陳情合戦になっても不思議ではない。首長の意見を聴く会がまさにそうだった。過去4回の住民の意見を聴く会もそれに近い。国交省が力を入れなければいけないのは,住民に地域エゴを競わせるのではなく,子や孫に残したい大局的な視野で,住民から知恵を出してもらうことではないのだろうか。あすの会を「住民が陳情する会」にしてはいけない。

5日(土)午後2時~5時 徳島県建設センター(徳島市富田浜2-10)へどうぞ。
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by himenom | 2006-08-04 23:34

7月31日(月)晴  「人は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」

 23日は陸別町から車で4時間,平取町二風谷(びらとりちょうにぶだに)に着く。
1997年,沙流川に建設された二風谷ダムを見ておきたかった。アイヌ初の国会議員となった萱野 茂(かやの しげる)さんの資料館も見ておきたかった。萱野さんは,議員時代に一度徳島に来られたとき,どうしても第十堰に行きたい,と会合を抜け出してこられ案内したことがある。今年5月79歳でなくなられた。
 その萱野さんが反対し続けたのが,二風谷ダムである。このダムは,高度成長期にアジア最大規模の工業地帯を苫小牧東部地区に作る構想(苫東開発)のための工業用水調達のダムとして計画され,その後苫東開発が破綻すると,こんどは治水利水発電など多目的ダムに目的を変えて,1997年強引に建設された。
 広々としたダム湖畔には展望台や観光用船着き場があり,公園も作られているが,フェスティバルの期間中で,しかも日曜日であるにもかかわらず,客はだれもいなかった。水は濁っている。右岸に2m幅の魚道があり,大きなカンバンがかかっているので,30分ほど見ていたが,上っている魚は一匹もいなかった。
b0050788_2155179.jpg  ダム近くの民宿二風谷荘の宿泊客はぼく一人である。女将さんが「今夜は身内の通夜なので十分なお世話ができません」といいながら,ストーブのスイッチを入れた。雨の日は夏でも入れるのだという。話しているうち「ワジンが」「ワジンが」という言葉に驚いて「アイヌは今も『倭人』という言い方をするのですか」と聞いたら,そうだという。ぼくは自分の無知に思わず言葉に詰まった。昨年来た修学旅行の女子高生たちは「えっ,アイヌもテレビ見るんだ!」と驚いたそうである。なんという非常識,と一瞬あきれたが,だがおまえも五十歩百歩ではないのか,とすぐ我が身に跳ね返る。ぼくは恥ずかしかった。。b0050788_2162294.jpg

女将さんは萱野さんの弟の奥さんである。ぼくが吉野川で何をしているか知った女将さんは,ダムが出来る前の沙流川がどんなに美しかったか,語り始めた。そしてヒグマに出会った体験。彼女の目の前で小道を横切った熊は,彼女に気づき振り返る。彼女はその熊の目が忘れられない。「熊の目はほんとに小さかったよ。」しばらく熊と見つめ合った。不思議だったのは「熊といることが,ちっとも怖くなかった」こと。
「不思議だよねえ」と彼女は夢を思い出すように話してくれた。萱野さんが電話をかけてきて「その熊はね,カムイ(神様)だったんだよ」と言ったそうだ。
ゆったりと語る彼女は誇らしげで,ぼくは子どものように話に引き込まれた。 
萱野さんはユーモアがありましたよね,とぼくは水を向けた。
「ええ,義兄さんは死ぬ直前まで人を喜ばせようと冗談をいう人でした」と言って,「もうあんな人は二度と出ない」と寂しそうな顔をした。
b0050788_2165378.jpg 
「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」と,委員会において史上初のアイヌ語による質問を行った萱野さんは,念願のアイヌ文化振興法を成立させたあと,「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」という言葉を残して,一期限りで国政から引退した。
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by himenom | 2006-08-01 02:34