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6月28日(水) 曇  辺見庸講演会

  先週末,大阪で辺見庸の講演を聞いた。中之島公会堂は満席で,30分ほど遅れていったぼくは,3階のスクリーン会場のさらにうしろの方のパイプいすに座った。辺見庸はぼそぼそとしゃべっていた。演台に左肱をついて,いつもの帽子をかぶり,ずっとうつむいてしゃべっていた。もともとしゃべりはそれほどでもないと聞いていた。それに脳出血で半身が不自由,さらにガンを病んでいる。無理もないよなと思った。両耳をスクリーンに集中した。
  「あなたはどこからきたのか」と彼は言っていた。いまこの問いに答えられる日本人がいるだろうか。と続けた。彼はファシズムの話をしようとしていたのだった。 中国山西省で旧日本軍の生体実験の話。生きながら手足を切断され,内臓を摘出される生体実験。おびえて手術台から遠い部屋の隅っこにあとずさりする中国青年に若い日本人看護婦が声をかける。 「麻酔するから大丈夫よ」  そのひとことで彼はついに覚悟を決める。手術台のまわりをとりまくたくさんの軍医たちに娘はぺろりと舌を出した。教養あるりっぱな軍医たち。彼らに殺人の意識はない。そこにあるのはただのルーティンだから。屠殺なのだから。
  辺見庸はここにファシズムの波動を聴く。ファシズムは日常のさりげないルーティンの中にこそ隠れている。日常生活は非善非悪,それは中間色の世界だ。ファシズムはそこに隠れている。ルーティンの怖さ。それは過去のものとはならない。山西省にいた数千人の関係者のだれも名乗りでない。加害の経験は忘れるものだ。自分は屠殺に加わっていないし,ぺろっと舌を出しても罪ではない。しかし人間の有り様からすれば最大の恥だ。根元的な恥辱。この内面に光を当てなければいけない。それが意識を変えるということだ。

辺見庸の声がだんだん力を増していく。言葉の一つ一つがくっきりと記憶の根を張っていく。

2003年の11月9日の屈辱を絶対に忘れない。その日は自衛隊のイラク派兵が閣議決定した日だ。小泉はなんと憲法前文を使ってその派兵を説諭していた。これに満場の記者団は誰一人反問しない。ひたすらメモをとるだけ。なんという屈辱。
「糞バエか,てめーら」
辺見庸は一息ついて続けた。言葉は万有だ。人は体に充満したなにかを表現するために,どうしても言葉を荒げなければいけないときがある。
辺見庸に病魔が襲ったのはその年だ。そして2年が経った。
大新聞の論説委員が「辺見さんも護憲派ですか」と冷やかすようになった。この大新聞は2年でこんなに変わった。少しづつ少しづつ,目立たないように,少しづつ。もっとも卑怯もっとも恥ずべきことだ。
  かれはノームチョムスキーとの対談を思い出す。憲法9条の価値を言おうとした辺見庸に,この巨人は容赦ない批判を浴びせる。200万人を殺戮した朝鮮戦争の出撃はどこからだったのか。憲法9条をもつ国からだ。その国はひたすらもうけた。ベトナム戦争のときはどうだったのか。そしていまイラクでも。 自分の顔を鏡に映して見ろよ。 かれに返す言葉はなかった。かれは恥じた。9条を守ったという護憲論者のはずかしさ。山西省の手術台のまわりの同心円と同じだ。明示的でない罪,中間色がまんえんしている社会。

  「知識人の転向はジャーナリストの転向から始まる」と言った丸山真男に,この会場で反論できるジャーナリストがいたら立ち上がってくれ。反論してくれ。
日本型ファシズム。それはわれわれのファシズム。他者から押しつけられるファシズムでない,われわれが根元的に持つファシズム。均質的で議論のない日本人。自己の体内にある神経細胞のなかにある「自己規制」という化け物。その恥を忍ぶよすがは憲法9条だった。これがあるからぎりぎり日本国民であることに耐えられたのだ。だがいまは。
  「コイズミ」は虚構だったのだ。マスメディアとわれわれが作った虚構だ。われわれがあの安っぽい男を必要とした。あの下品な含み笑いを必要としたのだ。だがシニシズム(冷笑主義)は殺さなければいけない。
  ぼくはあとどれだけ生きるかわからない。だがなめくじのようになっても,はいつくばっても,見えてくるものを書こうと思う。うみうしのようになっても,いもむしのようになっても,一生懸命になって書く。絶望,希望,暗さ,明るさ。死ぬまでもんもんとしながら書こうと思う。きょう話しながら考えた。異なった考えがいい。自分の言葉で表現できるから。いま必要なのは組織でなく個人だ。連帯とか言う必要ない。ひとの想像力が問われている。それぞれの持ち場で。一滴でいい,血を流さなければいけない。一歩でいい,足を踏み出さなければいけない。

  2時間半の話を終えた辺見庸は立ち上がろうとしてふたたび座り込んだ。遠くのスクリーンからでもかれが全精力を使ったのがわかった。やがてだれかが肩を貸して今度はゆっくりと立ち上がった。舞台の奥に姿が消えたあとも演台にかれの残像が残っていた。こんな講演を聴いたのは初めてだ。言葉がすぐ陳腐化していく時代。いい言葉ほどすぐ道化のように変わってしまう哀しい時代。すべての言葉が信じられなくなった時代にぼくらが身につけたのは無意識のよろい。心を遮断するこのよろいを貫こうとしたのにちがいない,辺見庸の言葉はすべてが直球勝負だった。ぼくは素直に感動した。
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by himenom | 2006-06-29 02:51

6月11日(日)曇  「第十堰また官主導が首もたげ」

 連日の過密スケジュールで眠りそうになっているが,こんなときこそブログ更新しなくちゃとパソコンにむかう。まず気持ちのいいことを書く。
 8日は,秋の吉野川まるあそびの企画決定をする会合があった。場所はなんと吉野川料理の「いろりあん」である。名人「虎屋壺中庵」岩本光二さんの手になる吉野川の幸を味わいながらやれば最高の企画ができるであろう,というぼくの思惑は見事にはずれ,10人の参加者はあまりの美味に忘我状態となりつい本題を忘れてしまったのであった。いい一日だった。

だが幸せは長くは続かず,翌9日はがらりと変わる。
9日,国交省が発表した河川整備計画検討方針に対し説明を求めるため,住民22人とマイクロバスで国交省四国地整に向かった。すでに4項目の質問を出してある。
1住民参加のしくみ(流域委員会)を採用しなかったのはなぜか。第十堰問題の誤りをまた繰り返すのか。
2緊急かつ最重要の課題と吹聴してきた第十堰問題を先送りするからには,まず第十堰の安全を説明すべきではないか。

舘課長の答えはこうであった。

1流域委員会では一部からの意見しかきくことができない。
2広くていねいに公平に聞くため今回の意見聴取の方針にした。
3第十堰の安全性は後日議論してもらう。学識者の人選は妥当だ。
4第十堰ではいろいろあったかもしれないが,まずは始めることが大事だ

 これが5ヶ月間ノーコメントを押し通し,待たせたあげくの「説明」であり,吉野川流域の住民がだれでも聞けるよう地元で説明会をしてほしい,という願いを拒否し,住民を高松に呼びつけての「説明」であった。
おだやかな住民たちの口からおもわず声が漏れた。
「説明になってない!」

 双方向の議論で結論を見つける「住民協働」の時代に一方通行の「意見聴取」とはなにか。いったいあなたがたは住民参加をどう考えているのか。住民参加とは,異常気象と予算減という未曾有の時代に,官民共同で立ち向かうための不可欠のしくみではなかったのか。流域委員会とはその可能性を探る新河川法が生んだ「知恵」だったのに,それさえ設置しないでどうやって40年間の吉野川の安全を確保するつもりなのか。

 なぜ第十堰の過ちを繰り返そうとするのか。吉野川では「計画策定の各段階で市民参加を行い意思決定を段階的に積み上げていくしくみ」で河川整備計画を作るはずではなかったのか。このしくみはあなたがた国交省の吉野川懇談会が出した結論ではなかったのか。第十堰問題の反省から生まれた「吉野川方式」ではなかったのか。

 いくら聞いても,舘さんはこれ以上言わない。理由になっていないのは子どもでもわかるのに,ただ繰り返すだけである。理由になっていないのを舘さんは知っていて何度でも無表情のまま繰り返すのだ。論理が破綻していようが,質問とずれていようがおかまいなしなのだ。技術者の誇りはないのか。これが官僚のお仕事というものなのか。

 のれんに腕押し,糠に釘,蛙の面に小便,馬の耳に念仏,いろんな言葉がぼくの頭の中をかけぬける。住民たちはぐったりとくたびれたのであった。

 舘さんが最後にようやく約束したのは次の2点である。
1この検討方針は住民に納得されていない。なお納得されるよう説明する。
2整備計画策定に際し単に「意見を聴取する」だけではなく「議論し,判断し,反映させる」プロセスをもりこむ事を検討し返事する。

 私たちは,引き続き徳島で説明会をするよう強く求めてこの日の説明会は終わった。帰り,22人のマイクロバスは,名勝津田の松原パーキングエリアに立ち寄った。名物は讃岐うどん。この日ばかりはうまいという者はだれもいなかった。翌日の徳島新聞夕刊の片隅にこんな川柳が載った。

「第十堰また官主導が首もたげ」
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by himenom | 2006-06-12 01:44

6月1日(木)晴 国土交通省四国地方整備局長 北橋建治様

国土交通省四国地方整備局長 北橋 建治 様             
2006年6月1日                                            
                                    NPO法人 吉野川みんなの会
                                    吉野川シンポジウム実行委員会
                                              連絡担当:姫野

                  説明会開催の申し入れ

さる5月23日付で発表された「吉野川水系河川整備計画の検討方針について」において、①流域委員会は設置せず②第十堰の検討は先送りにする,という方針が示されました。しかしながらこの検討方針およびその決定に至る過程には、以下のとおり重大な問題があると考えますので、速やかに説明会を開催し、下記の点等についてご説明をいただくようお願い申し上げます。

1  国交省(旧建設省)が「第十堰問題を含む吉野川における市民参加と対話の方法に関する『吉野川方式』を検討し提案する」ことを目的に設置した「明日の吉野川と市民参加のあり方を考える懇談会」の2001年3月24日付け最終提言は、「計画策定の各段階で市民参加を行い意思決定を段階的に積み上げていくしくみ」の重要性を強調し、それを総合治水・市民参加検討委員会(仮称)や吉野川流域協議会(仮称)としてまとめています。
  これは,国交省自身による,第十堰問題の反省から生まれた吉野川ならではの合意形成の新たなしくみであり,当然採用されるべきにもかかわらず,あえて今回の方針でこれを採用しなかったのはなぜか,県民にわかるようご説明頂きたい。

2  昨年12月、河川整備基本方針を決定した際、渡辺和足河川局長は「徹底した情報公開と住民参加で河川整備計画を作る」と約束しました。このため私たちは、計画の議論に先立って住民参加や合意形成のあり方を話し合う準備会を設置するなど、住民意見を十分反映できる仕組みを求める提言をし、繰り返し率直な意見交換を求めてきました。
しかしながら四国地方整備局は、2度の意見交換の場ではノーコメントを通し,いまなお,経過説明も情報開示もしていません。河川局長の約束はなんだったのか、いったい,「住民参加」と「情報公開」をどのように考えているのか,県民にわかるようご説明頂きたい。

3  流域の合意形成を図る上でもっとも重要なテーマのひとつが,審議会等の性格,運営,そして委員の人選です。ここでボタンを掛け違えるともはや取り返しがつかないことは,ダム審の教訓が示しています。このため前記最終提言も「委員の構成や選考基準,選考過程等に関する市民意見を集約し,できるだけ多くの人が納得できる選任方法を考える」べきと結論づけています。
  にもかかわらず,学識者会議の委員の人選と運営において,なぜこのようなていねいな方法がとられず,ダム審と同様,行政側の意向だけで決定してしまったのか,この学識者会議とはどんな役割を担うのか,県民にわかるようご説明頂きたい。

4  第十堰については、国土交通省(旧建設省)は、吉野川全域でもっとも危険と主張してきました。もし現在もそうだとすれば、可動堰計画の白紙後なんの安全対策をとることなく6年間も放置したうえ、さらに「抜本的な第十堰の対策のあり方」の検討を先送りにすることなど河川管理上ありえないことです。
したがって国交省は、まず河川整備計画上の対象洪水について第十堰は安全であることを,23号台風の解析結果に基づいて,過去にとらわれず率直に県民にご説明頂きたい。

  以上の点については、多くの県民が疑問に思っているところであり、つきましては5月19日のお約束どおり、速やかに今回の検討方針についての説明会をおこなって頂きたくお願い申し上げます。なお場所は徳島市内において当会が準備いたします。日時は6月中旬までに、お願いいたします。 
以上
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by himenom | 2006-06-02 23:52