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2月12日(日)小雪  第十堰問題は終わっていない

可動堰計画はなくなったと感じている人は多い。だが第十堰問題は終わっていない。それは昨年霞ヶ関の基本方針策定の過程で明らかになった。審議会委員の福岡氏,近藤氏の強硬意見は,河川局周辺のある勢力を代弁したものだ。飯泉知事も,自分ががんばったからこそ玉虫色の表現まで引き戻せたのだ,とコメントしている。決して可動堰推進勢力がなくなったわけではないのだ。力関係が変わったにすぎない,と考えるべきなのだ。公共予算のぶんどり合戦はどんなにパイが小さくなっても仕組みが変わらない限り続いていくこの国の悲しい「サガ」である。このことを忘れてはいけない。

それは県内状況をみれば一目瞭然だ。考えてもらいたい。なぜ可動堰反対が公約の飯泉知事はこの問題にこんなにびくびくしているのか。なぜ県内唯一の可動堰受け入れ団体である2市6町の首長で構成される「第十堰改築推進期成同盟会」はいまも解散せずに存続しているのか。なぜ最近わざわざ可動堰推進を目的とするNPO法人が認可されたのか。すべて可動堰計画の根っこがまだあるからである。これらに関係する人びとは,公共事業がここまでくるまでどんなに大変かを知っており,たとえ腐りかけた根っこであっても,それがいかに貴重な宝物かを知っているからである。その力を甘く見てはいけない。

では計画が白紙になって5年,変わったものは何か。まず政治的力関係である。吉野川下流で可動堰容認を争点にして当選できる候補者はいなくなった。次に新河川法の理念である。吉野川河川整備基本方針は開発優先のダム建設路線の転換を掲げた。これが第十堰をめぐるせめぎあいの新たな条件である。住民はその有利な条件を使って戦わなければいけないのである。勘違いしてはいけない。変わったのは不利な条件が有利な条件に変わったことであって,可動堰がなくなったのでは決してないのである。もし住民がもの言わなくなり,条件さえそろえば計画は再浮上する。だから住民は動かなければいけない。めざすのは勝ち負けを超えて大方から祝福される第十堰保全計画である。

そしてせめぎあいの舞台は2つ。いうまでもなく一つは河川整備計画のための流域委員会である。もう一つはおやっと思うかもしれないが,徳島県なのである。なぜ徳島県なのか。整備計画づくりにおいて知事は重い役割を持つ。とりわけ飯泉知事は全国の知事で唯一河川審議会に出席して「可動堰以外」という異例の要望をしたのだ。知事は重い荷物を背負った気持ちの筈である。蔵治先生たちの河川整備計画への提言について記者からコメントを求められた知事が,「流域委員に首長を入れなくて誰が責任を取るのか」と思わず感情的と思える反応をしたのは,上述の事情を考えれば納得がいく。だが「可動堰はないと確信している」と言ってしまった知事は、自信を持ってちゃんとした役回りを果たしてもらわなければならない。さらに知事に自信を持たせる方法がある。県議会である。徳島市議会は可動堰推進決議を撤回したが、県議会はしていない。県議の出番である。こんなとき県議しかできないことがあるとつくづく思う。がんばってほしい。
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by himenom | 2006-02-13 01:40

2月6日(月)雨 ふたつの「自ら」

 2週続けて森のシンポ。きのうは大阪で哲学者内山節さんのお話を聞いた。内山さんによると,西洋は「石の文化」日本は「木の文化」とよく言われるが,これは疑問だという。たしかに奈良時代には世界最古の保安林制度が作られ,武士がまだ田舎に住んでいた中世でも森の文化はあった。ところが江戸時代になると,武士階級という大量の消費者集団が都市に定着し様相が変わり始めた。武士の思想は儒学であり,自然を収奪する思想だったので,人と自然一体の思想に支えられた森の文化と対立する。江戸時代すでに都市と農村は別世界であった。西洋の直輸入で明治が生まれたのではなく,すでに武士のこの都市思想のなかに明治を生んだものはあったのだ,と内山さんはいうのである。

 一方村のくらしは百姓の自治で成り立っていた。武士は租税権を持つが,百姓社会には口をはさめなかった。村はそれぞれが自立して意思決定をおこない,その意思決定の原理は「自ら」であった。「自ら」にはふたつの読み方がある。「みずから」と「おのずから」である。意味も正反対に近い。なぜ「自ら」には,相反する二つの意味と読み方があるのだろうか。内山さんは,この二つにはもともと差異はなかったのだという。「自然」とは「しぜんにそうなる」「おのずとそうなる」ものである。だからひとびとは「おのずとそうなるのは何か」を感じ取ろうとし,その結論こそを「みずから」の意思とするのである。こういう自治のプロセスは内部のものにしかわからない。これが幕藩支配が及ばなかった理由である。自然から遊離した武士は身分制度と租税権で農村を支配したが,日本列島の広範な面で営まれる農村の自治は別の原理(森の文化)を持ち,面従腹背で武士の支配にしたたかに抵抗し続けた。この二重構造は江戸時代を通して変わることはなかった。

 だが近代明治国家は,廃仏毀釈を皮切りに,この絶妙な二重構造を破壊し,容赦なく国家の一元支配を列島全部に敷き詰めていく。ぼくは,内山さんのお話を聞きながら,新潟県大川郷で350年も続いてきた地域のサケ漁の話を思い出した。明治国家が「公益(国益)」のもとに進める漁業の中央集権化に対し,村人たちは「共益」という概念で伝統のサケ漁を生き残らせていくお話である。支配者たちにからめとられない村の自治のしたたかな知恵が,菅豊さんの「川は誰のものかー人と環境の民俗学」(吉川弘文館)にいきいきと書かれていておもしろい。
 日本のこの見事な自治の文化(森の文化)は,戦後の高度経済成長の時代にほぼ終わりを告げることになるのだが,内山さんは,だがそれからまもなくして,世界史的に一つの物語が終わり新しい物語が始まったという。終わったのは「歴史は常に発展する」という近代人の幻想の物語であり,新たに始まったのは人間の原点に返ろうという動きである。フランスではいったん10分の1まで激減した農村人口が1980年から上昇に転じ,いまや農民人口の3分の2は都市出身者となった。これが新たな時代の潮流である,と結んだ。
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by himenom | 2006-02-07 00:38

2月3日(金)晴  「戒厳令の夜」

b0050788_22525143.jpg五木寛之こころの新書を,紀伊國屋書店でぱらぱらめくっていて,ふと目にとまったのが「戒厳令の夜」というタイトルだった。五木さんの代表作の一つだがまだ読んだことがなかった。気になってさっそく図書館から借りてきた。読み始めたらおもしろいので,一気に終わりまで読んでしまった。つい若いときのような読み方をしてしまったのは,借りてきた本が70年代という時代をそのまま連れてきたような気がしたせいでもある。石岡瑛子さんのデザインが秀逸だ。まず白黒写真を赤れんが色に着色した表紙(セピア色ではなくてなんとか色といっていたなあ)に惹かれふと裏返すと,裏表紙の内側には,五木さんが徳島出身の芥川賞候補作家佃実夫にこの本を郵送した茶封筒が貼り付けてあるではないか。 
タイトルページをめくると,真ん中に16ポイントの太ゴシックで

「その年,四人のパブロが死んだ」

とある。次のページにはパブロ・ピカソ,次にはパブロ・ネルーダ,その次はパブロ・カザルスと黒い縁取りのある写真が続く。そして偉大な芸術家たちの最後は,縁取りだけで真っ白の写真,20世紀最高の幻の画家ーパブロ・ロペスが・・・。と,ここまででぼくはもう石岡瑛子さんの術中に落ちてしまっていて,あるいは30年前の時代に心は逆戻りしていて,老いてなお鋭いピカソの眼光や,鳥の歌が聞こえてきそうなカザルスの写真や,茶色に変色したこれらのページの小さなシミまでつい見入ってしまうのである。
四人が死んだ「その年」とは1973年。日本の戦後高度成長終えんの年だ。ベトナム戦争が終結しアメリカは建国以来初の敗戦を経験した年でもある。ウオーターゲート事件,金大中事件,チリのクーデターなど闇社会の事件も相次いだ。「神田川」や「母に捧げるバラード」がヒットし,パルコ渋谷店やセブンイレブン1号店が生まれた。五木さんが「戒厳令の夜」を謹呈した佃さんは,この年「阿波自由党始末記」を書いていて,そしてぼくはこの年北九州筑豊からふらっと徳島に帰ってきたのだった。ぼくが筑豊を知ったのは,カッパブックスのベストセラー「にあんちゃん」を読んだ中学1年のときだが,大学に入って上野英信の「追われゆく坑夫たち」や土門拳の「筑豊のこどもたち」を見て,ますます気になる地域になっていた。日本最大の炭田地帯と国営八幡製鉄所を抱える筑豊北九州は,日本という国を近代国家に変貌させたその心臓部だった。頂点には石炭王麻生財閥(外務大臣麻生太郎は4代目)が君臨し,いつ死ぬかもしれない危険な地の底の仕事でよければ,ここにくれば前歴も問われずなんとか飯が食えた。あらゆる人間がここに吸い寄せられ,日本最大の吹きだまりとなった。何百年の伝統社会からはじかれあるいは脱出した人びとがやってきた。見ず知らずの人をすうっと受け入れるこの地の優しさにぼくは驚き感動したものだ。四国にはお接待の風習があるがこれとはかなり違う。この物語でも重要な舞台となる筑豊を、五木さんは心底好きだったようだ。ひょっとしたら五木さんはこの地を,縄文期にはじまる長い長い時間を,国家の枠組みの外で生き続けた漂白民たちの世界につながる入り口、だと感じていたのではあるまいか。物語の中で幻の天才画家パブロ・ロペスが描き続けたのはユーラシアの漂白民ジプシー。国家の論理に翻弄され続けるこのロペスの名画を守るのが,ほろびゆく日本の漂白民山人族(サンカ)と海人族(海部)。「国籍を捨て,四辺の海をすみかとする一つの自由な放浪共和国の民としてよみがえるのだ。その海人の仲間の資格は,ただ海に生き海を好む,ただそれだけなのだ。」
この物語のもう一つのテーマは老いである。
ぼくももう59歳になったためか,やたらそんな箇所にもひっかかるのである。
「老いというものが,肉体だけでなく,人びとの心をどんなふうに衰えさせていくか」と書かれるとぎくっとする。「しかし,彼はその老いに逆らって,最後の一瞬を燃え尽くして死んだ。」というのを見てほっとする。するとまた「人間は老いてゆく。老いてゆくとともに多くのものを失ってゆく。ただ自分でそれに気づいていないだけだ。」とでてくるので,やっぱり,と絶望的になる。  五木さんはこのときまだ40代のはずだよ。なんでこんなに老いを絶望しなければいけないんだよ。とぶつぶつ言っていると,五木さんは最後にこうとどめをさすのだ。16ポイントの太ゴシックで。

「1973年,四人の老いたパブロが死んだ」

あとがきに五木さんは「ただ,予感としてあるのは,今後,世界はまちがいなく「戒厳令の時代」に属するようになるだろう」と書いている。それから30年,作家の鋭い予感は,違う意味で深刻な時代を言い当てていたようだ。だが気になる問題は老いである。くるなくるな,しっしっ,あっちへいけ,まだまだ逆らうぞ,が正直な気持ちです。はい。
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by himenom | 2006-02-03 23:04