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古木と古岩

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晩秋の渓流を歩いていくと
岩から生えた楓の古木と
木のような古岩があった。
よく似合っていた。

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by himenom | 2004-12-22 01:46

専門家と「緑のダム」

ヒトが真価を問われるのは予想外の事態に直面したときである。
ほんものかにせものかは、こんなときにわかってしまう。
河川事業も似たようなもので、今年おもいもよらぬ史上最大の洪水がでて可動堰計画のうそいつわりがわかってしまった。(くわしくは吉野川たより91号参照)

この事態に、可動堰を推進してきた行政や専門家たちは、いっせいに口をつぐんでしまった。当時専門家たちは、住民の可動堰批判に対し「稚拙な考えだ」「馬鹿ばっかりになった」「住民が責任をとれるのか」といった感情的な反応をすることが多かった。

最近の「緑のダム」に対する行政や専門家の対応を見ていると、このことを思い出してしまう。感情的になるところがよく似ているのだ。なぜだろう。
1住民世論が期待し支持しているテーマ。
2縦割り専門領域を超える科学的議論にしろうとが参入した。
3専門家がそれに対応できない。

まあ原因はともかく、なんだかなわばりに入ってきたちん入者に対するような感情むきだしの議論がしばしば目につく。なかには、専門家のくせに名前を隠して相手の背中に切りつけるという、ネット掲示板(?)ならではの陰湿論者も出始めた。

つまり「緑のダム」は、専門家としろうとで見方が大きく違うという意味でも、
いま最も刺激的なテーマなのである。
そこへ、絶妙のタイミングで、おすすめの本が出た。
緑のダム」蔵治光一郎+保屋野初子編(築地書館)である。

b0050788_21332242.jpg賛成反対の双方ががっぷり議論を展開しているので、「緑のダム」研究の先端がわかる。
時代が変わっていく現場の息吹が伝わってくるようだ。
新たな事態に直面し、真価を問われる専門家たちが、どのように古いからを破り成長していくか、楽しみだ。


(スギの倒木に3つの穴が。なんだかおわかりだろうか。
キツツキのあけた穴だそうだ。仕上がり具合からみると
きちょうめんな性格らしい。エサにはありついたのだろうか。)
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by himenom | 2004-12-18 21:15

川ガキたちの「吉野川体験発表会」

12日、川ガキたちの「吉野川体験発表会」があった。前からぼくが楽しみにしていた会だ。10人の「川塾」のこどもたちが発表する。 「川塾」というのは「川の学校」の上級バージョンと考えてもらえばいい。川ガキたちが、さらに1年間、吉野川でキャンプをして、感性と知識と技術をアップさせるのだから、もはや川のことでは、なみのお父さんお母さんでは太刀打ちできなくなる。

会場にはいーちゃんがいる。ゆっきがいる。みんな「川の学校」卒業生だ。ゆっきは穴吹川の「見釣り」では誰もかなわない女の子だった。「どうやって川を守るか」大人たちを諭すような励ますような発表に会場は沸いた。ゆっきだけではない。多くの子が「川を汚さないで」と大人に注文をつけた。

不思議なことだが「川を守ろう」とかれらがいうと、ありきたりの標語と全く違うことばに聞こえるのだ。なぜだろう、と思いながら聞いていた。ああ、わかった。かれらが「川を守ろう」というとき、かれらは無意識に大好きな魚の気持ちになって言っているのだな、と気が付いた。だから新鮮にひびくのだ。

かれらは川に入り魚を捕って食べた。いっぱい捕って食べて、川に夢中になった。ぼくにも記憶がある。そうやっていつのまにか魚の側からものを言おうとする感性が身についてきたのか。

では、大人になったらしたいことはなにか。かれらは、もっと魚をとりたい。泳ぎたい。みんなと遊びたい。という。「おいおい、いまといっしょでないかい」と突っこもうとして「あ、そういえばぼくも」と思ったのでやめた。

だがさらにかれらは続けた。大人になる前にしたいこと「ほかの子に吉野川を伝え、体験させてあげること」だと。いやあ参った参った。もと川ガキの大人たち、うかうかできませんぞ。
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by himenom | 2004-12-13 12:29

佐久間ダムと漁師さん (水郷水都浜松大会その2)

b0050788_96147.jpg■佐久間ダムは戦後日本の高度成長の記念碑的なダムである。この日本一のダムは、昭和28年着工わずか3年で完成した。世界銀行の資金融資とアメリカの技術者、土木機械の全面投入があってのことだ。資料館では当時の白黒の岩波映画が写されていた。

「ダムで、天竜川を5つの湖に変える、国土総合開発計画なのです」

ナレーションは誇らしげだ。経済成長に一点の曇りもない夢を見た50年前の時代があった。

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■第2発電所放流口 佐久間ダムから取られた水は、ここで再び川に戻る。ものすごい濁りだ。右が本来の天竜川の水だが、ブレンドされた天竜川はずっと海まで汚濁が消えない。

天竜川漁協の堀内理事は「河口30キロでも透視度40センチなんですよ」 いったん濁ると1ヶ月は澄まない。かつて竹箒で掃いて捕れたアユがいまや天然遡上4~500万匹まで落ちている、と堀内さんは嘆く。

だが、案内してくれた電源職員さんの説明は違った。「透視度で水を評価するのは不正確。濁りは鉱物質であって富栄養化はない。水質はAAAです。」
「しかし」とだれかが言う。「ダム湖の底石に付いているのはどうみてもヘドロだなあ」

b0050788_10262042.jpg そして、分科会で秋山組合長がとどめをさした。ダム湖水の透明度測定用の透視計をのぞいてもらった。すると、漁協は「5cm」国交省職員は「8cm」電源職員は「12cmでーす」と言ったそうな。「同じものをみても見え方は変わるもんですねえ」

ダム湖では、累積1億トンという膨大な堆積土砂を、クレーン船が掬っては運び出していた。年11万5千トンだそうだ。まことにむなしい努力である。「まあ、底のヘドロやシルトをかき混ぜるだけだねえ」隣のおじさんはつぶやいた。
            
■浜松大会では漁協ががんばった。水郷水都で初めてのことだ。天竜川漁協の組合員は3300人だが、アユやニジマスの養殖もしている。一淡水漁協がである。
「すごいですねえ」というと「ダムの補償金なんです。当時の役員はもらった金を使わずに次に残した。偉いもんです。」
b0050788_10282824.jpgそういう秋山さんはじめ組合員もまた、天竜川の環境を次に残そうと、なれない準備に苦労しながらこの全国大会を主催したのだ。
 高度成長の夢を生み出し、いまは負の遺産に苦しむ名川 天竜川から、また新しい時代の何かが生まれ始めている、と ぼくはじんわりした感動を感じていた。
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by himenom | 2004-12-10 09:55

第2回吉野川堤防強化検討委員会開かれる

 8日、師走の忙しいときなので、すこし迷ったが、傍聴にいってきた。
この委員会は、近年大きな洪水がなく現堤防の安全性がよくわからない、として国交省が設置したもの。委員は石川浩徳島事務所長ほか山上拓男、岡部健士、澤田勤、三神厚の各氏(全員徳大工学部)である。

 受付で「お名刺を」といわれる。 おや?雰囲気がいままでと少し違うなあ。傍聴者は14~5名で、前回は見かけた可動堰推進派はいない。ほとんどは業者の方々のようである。
 審議は専門的なやりとりが続く。少しマニアックだ。こういう会議の聴き方にはコツがある。

 台風の四国上陸数は年0.7個だったのに、今年はなんと10個。おまけに台風23号洪水は史上最大の洪水だった。こういう異常気象はこれまでの河川整備を検証する絶好の機会のはず。これからの治水を考える教訓にすべきはず。さあどんな意見が出るか、と思いながら、ぼくは3時間半の審議を聞いていた。

 わかったこと
1台風23号は史上最大の洪水で、いたるところではんらんしたが、幸いなことに、吉野川の堤防は強かった。先人の努力のたまものだ。県内の床上浸水2600戸の原因はすべて支流のはんらんや内水によるものである。

2第十堰せきあげ論は空論であった。川内堤防の流失や川島堤防の陥没は第十堰周辺以外だし、六条大橋下流の護岸破損は「19000トンの洪水を問題にする前にやるべきことをやれ」といわれたようなものだ。

3一方堤防の点検(概略点検、詳細点検)は平成9年~15年にやっとおこなわれたと聞いて驚いた。これまで「河道容量第一主義」で、ダムや可動堰に血道をあげていたためだろう。

 国交省は「古い堤防は中身がわからない」と説明していた。事実かもしれないが、実はここから先の考え方が問題なのである。これまでは中身が不安だからダムや可動堰をじゃんじゃん作って洪水対策をすべき、となっていた。これは順序が逆。まず中身が信頼できる器を作ることが先決である。

 国交省は、今回の洪水で吉野川の洪水を流す器は十分大きいことがわかったので、これからは「壊れない堤防第一主義」へ重点を移す、こうはっきりいってほしいものだ。
 さらに大事なことがある。2600戸もの床上浸水のことである。いっさい取り上げられなかったのは問題。これは現実の洪水被害で、河川整備上の問題である。堤防整備との関係でその治水上の意味をあきらかにすべきだろう。

と、ブログの原稿を書いていたら、毎日放送テレビで委員会のニュースを見た人から電話がかかってきた。「吉野川の堤防が決壊寸前といってた」と言う。やれやれ「オオカミがくるぞー」のはなしがまた出ているのか。うんざりですねえ。
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by himenom | 2004-12-09 17:33

建造当時の第十堰が現れる

久しぶりに第十堰が2日付け徳島新聞夕刊の1面トップで大きく取り上げられた。

b0050788_0174320.jpg「今年相次いだ台風の大雨で、吉野川第十堰(ぜき)の「上堰」を覆っていた土砂や雑草が流され、明治初期の建造当時の姿を残した青石による石組みが露出したことが分かった。露出したのは約三十年ぶりとみられている。堰の保全を求めているNPO法人「吉野川みんなの会」の山下信良代表理事は「歴史的にも技術的にも貴重。この機会に多くの人に見てほしい」としている。」

実はこの1ヶ月、噂を聞いた人がつぎつぎと訪れているのである。
見た人はおもわず息をのむ。
この青石の美しさ、スケールの大きさ、
そして250年の長い年月の重みに圧倒されるのだ。

あす3日の2時、みんなの会は、国交省徳島事務所に第十堰の保全を申し入れる。
続いて3時から第十堰の上堰現地で説明会をおこなう予定だ。
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by himenom | 2004-12-03 00:21

ゴミをよみがえらせた天竜川のダム (水郷水都浜松大会その1)

日本の水問題をリードしてきた水郷水都全国会議という集まりに行ってきた
。今年の開催地は浜松だ。早くからぼくは行こうと決めていた。天竜川が見たかったのである。この川は戦後日本の象徴といってもいい。

b0050788_372570.jpgまず河口部を見た。ここに日本三大砂丘のひとつ中田島砂丘がある。日本とは思えない雄大さだ。美しい。
が、海岸浸食が進んでいる。どんどん砂浜が荒波で削られてなくなっているのだ。昭和40年200m幅以上あった砂浜はいま平均50m幅しかなくなってしまった。
「あと1~2年でどうなるかわからない」案内の女性は悲しそうな声で言った。
原因ははっきりしている。天竜川のダムが砂利の供給を止めてしまったからである。

b0050788_37525.jpg隣接する馬込川河口をみると削られた砂の中から古タイヤやビニールが顔を出している。なんと、ニッポンの高度成長期、広大なこの砂浜はゴミの処分場にされていた。枯れかけた松林の下は砂でなくてゴミなんだそうである。総量13万トン。
さすがに恥ずかしかったのか、ヒトは松林を作ってゴミを隠してしまった。その下に膨大なゴミがあると誰が思うだろう。そのくらいここの風景は美しい。

そして30年のときが流れた。完全犯罪の成立か。と思ったとたん、ゴミたちが現れ始めたのである。ゴミたちをよみがえらせたのはダムであった。「暴れ天竜」の流れを止めた巨大ダム群は、水だけでなく砂を遠州灘に送るのも止めてしまった。高度成長を支えたダムは、公平にもその陰の部分をあざやかに見せてくれたわけである。

で、私たちは100年先のためにどうすればいい、と遠州灘の強風にあおられながら、参加者たちはもくもくと美しい砂丘をあとにしたのだった. (続く)
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by himenom | 2004-12-01 03:10