10月2日(月)曇  国交省はなぜ議論に応じないのか

「吉野川流域住民の意見を聴く会 運営に不満の声続出ー双方向の議論を要求」
1日付の徳島新聞は、こういう見出しをつけた。

午後1時、107名の参加で始まった聴く会は、
冒頭からコモンズへの批判が噴出、波乱含みの展開となった。
終わったのは、午後7時。なんと6時間である。
出された意見は200を超え、なかでも
国交省の計画策定の進め方に対する、強い不満が噴出した。

この日国交省は、意見は聞き置くにとどめ議論はしない、という姿勢を通し、
コモンズは、住民の意見を引き出すのがファシリテータの役割、といい続けた。
これは何を意味するのだろうか。
住民意見は聴くだけ聞いた、という実績作りのために、結局のところ、
両者が役割分担しているということである。

会が終わりに近づいた頃、中身は何も言わなかった舘河川計画課長が、
「河川管理者の責任と権限」を大きな声で強調したのが、とても印象的だった。
ぼくは、それを聞いて、疑問がすうっと解けたように思った。
もはや国交省は、議論によって住民を説得できる自信がないのだ。

なぜなら、総合治水、環境目標、森林保全、縦割り行政打破、等々の住民の主張は正論であり、心ある河川技術者も真剣に考えている、難しいテーマに違いないからである。
だから、これらのテーマに正面から取り組もうとしない官僚たちに、議論で住民を説得できるはずはなく、「権限」を盾に取るしか自らの拠り所はなくなった、ということなのであろう。

おそらく国交省は、この日をもって第一クールの終わりとし、「意見聴取方式」を強引に既成事実化しようとしたいに違いない。さらにその既成事実をもって、「第十堰の検討」に踏み切るための条件と考えているのかもしれない。
もしそうなら、国交省はとんでもない見込み違いをしているのであり、住民はそんな方式で「第十堰の検討」を始めさせるわけはないのだ。少しは過去を学んだほうがいい。
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by himenom | 2006-10-03 02:04
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