NHKの夕方のニュースを見ていたら,突然,吉野川河口の映像が出てきた。「汽水域」の特集らしい。河口のシジミ漁の様子。じょれんに入った吉野川のヤマトシジミは,阿波踊りの踊り子が履く下駄のようにつやつやと色っぽい。「この時期は身が詰まっておいしいんよ」と川漁師の矢田輝彦さんのナレーションが入る。このあたりのシジミのみそ汁は汁の量より,シジミの量の方がはるかに多くて実にうまい。これが吉野川の味覚としてこどもたちに一生刷り込まれてしまうのだ。これを飲めば親父の二日酔いも一発で解消する。なんという幸せ。
画面は夕方の第十堰へ飛ぶ。きょうの第十堰は力強く水が越流していて,第十堰は流れの中に隠れ川底となりきっている。堰上ではいたるところコサギが獲物をねらっている。第十堰は水の中でありすべてが魚道であるから,川の先住民たるお魚に「ここを通りなさい」という人工魚道のあつかましさがない。見ていると気持ちが和む。 カメラマンは,真水と塩水がまじりあう汽水域特有の現象である水中の水のゆらぎ(ウイスキーの水割りや砂糖水をつくったときにゆらゆらと透明のカーテンが揺れているような現象)を見せたかったらしい。 その周りの水中にはキビレやスズキの子やハゼの仲間などがいっぱい泳いでいる。第十堰が石積みで漏れる構造(透過構造)であるが故に,生命のゆりかごと言われる吉野川の汽水域が250年保たれてきたのだ。 惜しかったのは,第十堰に居着いているはずのアユの映像がなかったことだ。第十堰には今なお青石の基礎石が無数に積まれており,ここにアユが縄張りを張っている。海から150キロの旅をする豪のアユがいるかと思えば,わずか14キロで旅をやめてここで一生を過ごす(といってもアユは年魚なのでわずか半年間)落ちこぼれ的ずぼらアユもいる。アユにもさまざまな個性がありそれぞれの人生があるのだ。ぼくは,そんなずぼらアユを遠来の客に見せたくて,第十堰を案内するときは,必ず裸足になってもらって,ズボンをまくりあげて,このアユたちの縄張りに行く。国交省が作ったどこのダムにこんな光景があるだろうか。 NHKは,いま今後30年先の吉野川の姿が決められようとしていることを知って,この特集を組んだのだろうか。国交省の河川整備計画素案について,5日の住民意見を聴く会の報道記事に徳島新聞は「環境保全目標明示を 吉野川整備計画、下流域住民が要望 」という見出しを付けた。6月27日開かれた学識者会議でも,専門家委員から同様の強い意見が出ていた。素案における環境保全計画を一度見ていただきたい。すべて「努める」のオンパレードである。行政が「努める」という用語を使うときは,なにもしない,という意味だというが,具体的な環境保全目標が設定されていないのだ。「昭和30~40年代の吉野川の環境を回復する」こんな環境目標を盛り込んでもらいたい。一瞬で、住民は整備計画の目標を理解し,整備計画は「官のもの」から「流域住民のもの」へと変わっていくに違いない。 ニュースは下流側から第十堰を映していた。第十堰の向こうの広々とした川面が夕日に染まり,お日様はやがて吉野川の川面に隠れていく。ぼくが会議に出かけようと事務所を出たらでっかい太陽が西の空に沈もうとしていた。吉野川大橋を渡る頃には,こんどは満月が河口からのぼり始めていた。これまたでっかくて見事な満月だ。この風景が大河吉野川の風景なのである。今日,何人の人がこのぜいたくなひとときを味わっただろうか。
by himenom
| 2006-08-10 02:00
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