6月11日(日)曇  「第十堰また官主導が首もたげ」

 連日の過密スケジュールで眠りそうになっているが,こんなときこそブログ更新しなくちゃとパソコンにむかう。まず気持ちのいいことを書く。
 8日は,秋の吉野川まるあそびの企画決定をする会合があった。場所はなんと吉野川料理の「いろりあん」である。名人「虎屋壺中庵」岩本光二さんの手になる吉野川の幸を味わいながらやれば最高の企画ができるであろう,というぼくの思惑は見事にはずれ,10人の参加者はあまりの美味に忘我状態となりつい本題を忘れてしまったのであった。いい一日だった。

だが幸せは長くは続かず,翌9日はがらりと変わる。
9日,国交省が発表した河川整備計画検討方針に対し説明を求めるため,住民22人とマイクロバスで国交省四国地整に向かった。すでに4項目の質問を出してある。
1住民参加のしくみ(流域委員会)を採用しなかったのはなぜか。第十堰問題の誤りをまた繰り返すのか。
2緊急かつ最重要の課題と吹聴してきた第十堰問題を先送りするからには,まず第十堰の安全を説明すべきではないか。

舘課長の答えはこうであった。

1流域委員会では一部からの意見しかきくことができない。
2広くていねいに公平に聞くため今回の意見聴取の方針にした。
3第十堰の安全性は後日議論してもらう。学識者の人選は妥当だ。
4第十堰ではいろいろあったかもしれないが,まずは始めることが大事だ

 これが5ヶ月間ノーコメントを押し通し,待たせたあげくの「説明」であり,吉野川流域の住民がだれでも聞けるよう地元で説明会をしてほしい,という願いを拒否し,住民を高松に呼びつけての「説明」であった。
おだやかな住民たちの口からおもわず声が漏れた。
「説明になってない!」

 双方向の議論で結論を見つける「住民協働」の時代に一方通行の「意見聴取」とはなにか。いったいあなたがたは住民参加をどう考えているのか。住民参加とは,異常気象と予算減という未曾有の時代に,官民共同で立ち向かうための不可欠のしくみではなかったのか。流域委員会とはその可能性を探る新河川法が生んだ「知恵」だったのに,それさえ設置しないでどうやって40年間の吉野川の安全を確保するつもりなのか。

 なぜ第十堰の過ちを繰り返そうとするのか。吉野川では「計画策定の各段階で市民参加を行い意思決定を段階的に積み上げていくしくみ」で河川整備計画を作るはずではなかったのか。このしくみはあなたがた国交省の吉野川懇談会が出した結論ではなかったのか。第十堰問題の反省から生まれた「吉野川方式」ではなかったのか。

 いくら聞いても,舘さんはこれ以上言わない。理由になっていないのは子どもでもわかるのに,ただ繰り返すだけである。理由になっていないのを舘さんは知っていて何度でも無表情のまま繰り返すのだ。論理が破綻していようが,質問とずれていようがおかまいなしなのだ。技術者の誇りはないのか。これが官僚のお仕事というものなのか。

 のれんに腕押し,糠に釘,蛙の面に小便,馬の耳に念仏,いろんな言葉がぼくの頭の中をかけぬける。住民たちはぐったりとくたびれたのであった。

 舘さんが最後にようやく約束したのは次の2点である。
1この検討方針は住民に納得されていない。なお納得されるよう説明する。
2整備計画策定に際し単に「意見を聴取する」だけではなく「議論し,判断し,反映させる」プロセスをもりこむ事を検討し返事する。

 私たちは,引き続き徳島で説明会をするよう強く求めてこの日の説明会は終わった。帰り,22人のマイクロバスは,名勝津田の松原パーキングエリアに立ち寄った。名物は讃岐うどん。この日ばかりはうまいという者はだれもいなかった。翌日の徳島新聞夕刊の片隅にこんな川柳が載った。

「第十堰また官主導が首もたげ」
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by himenom | 2006-06-12 01:44
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