10時からみんなの会の定時総会。朝からだったが50人ほど集まった。当然ながら国交省の新方針に失望や怒りの声が相次ぐ。「6年前に可動堰は”白紙”になったが,その白紙をあぶり出せば”可動堰”と書いてあるんじゃないか。国交省は信用できん。」と藍住の男性。
ぼくは「97年の河川法改正から始まった住民参加型の河川行政は,00年の第十堰住民投票の高揚,続く淀川流域委員会をピークにして,再び後退局面に入ろうとしているようだ。注目河川の吉野川で流域委員会を設置しないことは考えられないことで,06年の吉野川が逆コースのエポックとなるとしたら残念だ」と意見を述べた。 昨年12月,渡辺河川局長は「徹底した情報公開と住民参加で河川整備計画を作る」と約束したが,部下の四国地整がやったことは,5ヶ月間何を聞いてもノーコメントを決め込んだことであり,あげく流域委員会を設置しないと発表したことであった。議論で計画を練り上げていく流域委員会の設置をやめて,単なる一方的な意見聴取に変えてしまったのであった。 言っていることとやっていることがまるで違う。 国交省のいう住民参加とはいったいなにか。いまはもう退官したが,青山俊樹さんという河川官僚がいた。ぼくは94年に日弁連が合衆国開墾局総裁のダニエル・ビアードさんを呼んだシンポを聞きに行ってそこで青山さんに初めてお会いした。ビアードさんを前にきれい事を述べる青山さんにぼくは食い下がった。「吉野川の現場を知っていますか。シンポの出席は拒否し計画データも隠すひどい状態だ」青山さんは壇上から答えた。「データを出してよいと私が言ったと言ってもらってかまわない。」ぼくは青山さんに好感を持った。翌日徳島工事事務所からデータを出すと電話がかかってきた。事態は動き出したのである。 それから5年後,河川局長になった青山さんの講演を聞いた。青山さんは「反対住民を敵視してはいけない。川の仲間と思わなければいけない」と話した。川に関心があるからこそ住民は反対もするというわけだ。ぼくは感動した。もしこのような考え方が現場に広がれば,河川行政は間違いなく国民から信頼されるに違いない。住民参加の原点はここになければいけない。青山さんの目は,たしかに嘘を言っている人の目ではなく,だから対立のさなかにあっても,ぼくは青山さんの講演に共感できた。しかし河川行政の現場は全く違ったのである。 建設省に都合のいい住民,異議を言う煙たい住民,と色分けして,都合のいい住民だけを審議の場に参加させる。95年設置の吉野川のダム審はその典型であり,いやさらにひどく,当初から可動堰賛成委員が大半を占めており住民代表は誰一人いなかった。だがこのダム審の制度とは,なんと青山さんその人が作ったものだったのだ。河川局長のいう総論と現場の実態が180度違う。いったいこの事実をどう解釈すればよいのだろうか。河川行政は住民にとって深い闇の中である。 これが10年前にぼくが経験した事実である。当時青山さんは少なくとも,住民参加型行政に関心を持ち,これを導入しようとしたのに違いない。しかし実際に運用しようとしたとき,住民参加の魂はどこかでのけられ形だけが残された。それから10年が過ぎた。住民参加を掲げる新河川法も施行された。だが国交省は青山さんの時代と何も変わっていないようである。 総会の議論は尽きず,結局時間切れで継続議論を行うことになった。
by himenom
| 2006-05-29 00:11
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