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4月24日(月) 河川整備基本方針策定のあと第十堰はどうなったか

あすは、徳島県知事宛の質問書を提出する。
かんじんの吉野川の河川整備計画づくりは依然五里霧中で
国交省の鉄のカーテンのかなたである。
そのうち出てはくるのだろうが、
忘れるといけないので、その経緯を残しておこう。

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河川整備基本方針策定のあと第十堰はどうなったか
(2月28日第十堰日誌より)
もう3ヶ月も前の話になるが,前回の第十堰日誌に吉野川水系基本方針を活かそうと書いた。ぼくはその刷り上がったばかりの吉野川だよりを日弁連のシンポジウムに持っていって,来ていた布村国交省河川計画課長に名刺代わりに謹呈した。布村さんは全国の河川整備基本方針策定作業の総元締めであり,4日後には吉野川の住民と河川局長の対談が決まっていたから,布村さんはきっと読むはずだとぼくは考えたのである。
  さらに対談に先立って住民側は次のようなメッセージを河川局長に送った。
「新河川法の理念と新方針の上記目標を、河川整備計画に具体化しなければならない。環境を守り総合治水を行うためには住民参加が不可欠であることを認識し、私たち住民は、大事のためには小事にとらわれず,勇気をもって新しい一歩を踏み出したいと思う。」 河川局長がこれをどう受け止めるかが楽しみだった。

  12月7日,国交省の会議室で,渡辺和足(わたる)河川局長は 「整備計画づくりはすべて整備局マターである」 と断った上で 「私はその総論を言う」と続けた。河川局長が投げ返したボールは要約次の通りであった。ぼくは三原則と呼ぶことにした。
  ①整備計画は 「住民意見の反映」 と「徹底した情報公開と住民参加」 で作る。
  ②第十堰は治水,文化両面から考える。
  ③森林と一体で河川整備を考える。
  この原則に異論はない。 もしこの三原則がきちんと守られれば,14年間の第十堰問題は,解決に向けて大きな一歩を踏み出すことになるはずである。
  だがこの三原則はどのように具体化されるのであろうか。なにしろ総論と各論の使い分けは「官僚文化」と言えるほどに見事であるから油断はできない。四国地方整備局と意見交換会をした。吉野川の河川整備計画作りの責任者は四国地方整備局の舘河川計画課長という方であった。河川局長は 「整備計画づくりはすべて整備局マターである」 と明言したにもかかわらず,舘さんはほとんど語ってくれなかった。結局,河川局長の上記発言を確認したこと、その具体化は「整備局として責任を持ってやる」と明言したにとどまった。暮れも押し詰まった12月21日のことである。
  この日住民側は「三原則」実現のために,大切な提言を持参していた。流域委員会の設置の提言である。流域委員会とは、河川整備計画を作るに先だって、学識経験者がその方向性や骨格をとりまとめる委員会であり、どこの川でもその後の整備計画を大きく左右している。住民側は次の提言した。委員会は運営の独立性をもつこと、委員の人選はだれもが納得できること。この2つの原則を実現するために、委員の選定委員会、準備会、流域委員会という開かれた手順をとることである。ここでボタンを掛け違えると取り返しがつかないことは、国交省は98年の第十堰ダム審でいやというほど経験したはずだ。実は住民側がおこなった提言は,かつて国交省自身が設置したあり方懇談会がダム審を反省してその最終提言に盛り込んだ核心部分だったのである。だがこの日舘さんは何も言わなかった。吉野川は再び全国の注目を集め始めていた。
 
 年が変わった1月20日、学術界から動きが出た。「吉野川では河川管理における住民参加を巡り、全国に先駆けて住民運動が行われ、それが現在まで持続しているという、全国他に例のない特徴を有し、その経緯は各種の学術書、一般書に記述され、全国的に注目されている(例えば小林編、2002、上田、2003、嘉田編、2003、蔵治・保屋野編、2004、原科編、2005など)」 として、「日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト 青の革命と水のガバナンス」 という研究グループが、吉野川の流域委員会のありかたについて四国地整に対し,学術的視点から提言をおこなったのである。
  このグループは全国の流域委員会を研究している専門家集団であり、その提言は各地の経験に裏付けられた具体的なものでたいへん参考になる。①流域委設置に際しては住民代表が過半数加わること ②準備委員には他の流域委員会の経験がある学識経験者が加わること ③委員長は住民参加と合意形成の分野で十分な実績のある学識経験者とすることが ④流域首長の委員は避けるべき ⑤河川管理者はアドバイザーとして協力する。会議および資料は全面公開する。
  この提言からもさらに1ヶ月がたった。国交省四国地整はどう動いたか。不思議なことに動きが止まってしまったのである。年内に徳島県に示されるはずだった整備計画策定の道筋は,いまだに宙に浮いたままである。ぼくは四国地整の舘課長に 「どうなっているんですか」と電話をした。舘課長は「まだ何も決まっていません」 と3ヶ月前と同じ返事をした。河川局長のキーワードはどこへいったのだ。いくら聞いてもそれ以外何も言わなかった。なぜ動きがないのかわからない。だが国交省内で何かがおこっている。
by himenom | 2006-04-25 00:02
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