10月19日(水)晴 20日から第十堰補修工事 国交省

 「国土交通省徳島河川国道事務所は二十日から、吉野川第十堰(ぜき)の破損二カ所の補修工事を始める。破損部分にコンクリートを流し込むなどして堰の強度を高め、来年三月二十四日までに完成させる。

 補修するのは、青石が破損した上堰部分の約五百平方メートルと、コンクリートブロックが流出するなどした下堰部分の約百三十平方メートル。上堰部分の工法については、青石を敷き詰めた空石張りの景観を残すように求める住民の意見が多かったが、国交省は、洪水への強度を高めるため、青石の間にコンクリートを入れる練石張り工法を採用した。

 工事は、二十日から工事用道路に着手、十一月初旬から本体の補修に取り掛かる。」
                                     (毎日新聞10月19日

第十堰の補修工事がおこなわれるのは何年ぶりだろう。調べてみた。03年93年は魚道補修なので別として,堰本体では下堰が1983年,上堰が1969年までさかのぼる。つまり下堰では22年ぶり,上堰では36年ぶりの補修(メンテナンス)である。さらに青石を使ってとなると,これは40年以上絶えてなかったことではあるまいか。

第十堰の可動堰計画の3大理由の1つが「第十堰老朽化論」だった。
第十堰は透過構造 ⇒吸い出し現象発生 ⇒内部が空洞化 ⇒第十堰崩壊 つまり第十堰の補修は不可能だから全面改築しかない,という説明だったが,これはまるで事実経過と違っていたのだ。第十堰は老朽化して壊れたのではなかった。改築に等しい大補修もすでになされていた。

実際の事実関係は,
①1960年代の膨大な砂利採掘 ⇒急激な河床低下 ⇒第十堰の石組み損壊 ⇒②昭和の大補修で堰は安定 ⇒砂利採取禁止で河床も安定 ⇒あとはメンテナンスで十分

というわけだったのだ。昨年は観測史上最大級の洪水(大増水)が連続して第十堰を襲ったが,第十堰(下堰)はほとんど影響を受けなかった。第十堰の公開調査では国交省のアドバイザーは,はじめて第十堰は安定した構造物であると認めた。(05年3月の日記「第十堰老朽化の真実」)事実は事実として認める姿勢は潔く,気持ちのよいものだった。

第十堰老朽化論は誤りだった。むしろ今回の補修の積極的意味は,上堰の青石部分の補修にある。第十堰は本来青石の石組みの堰であった。青石のうえを豊かな水が流れていてアユやウナギがいっぱい。ぼくは目をつむると,50年前のこの堰の光景を瞬時に思い出すことができる。たぶん死ぬまで忘れないのだろう。

だから,青石による補修がはじまる,と聞くだけでときめいてしまう。地元には現役の石工さんがいるのに,錬り石工法というのが残念だが,まずは最初の一歩が大事なのである。たいがい小さなできごとから時代は変わるものだ。 

40年前コンクリート万能の時代があった。1965年~75年の昭和の下堰大補修は,進行する河床低下に耐えるよう,青石による伝統工法を排し,強固なコンクリート型枠工法でおこなわれた。3m以上も下がってしまった川底の替わりに下流側には無数のブロックが投げ込まれた。第十堰(下堰)は年ごとにコンクリートに覆われていき,その行き着いた先が「可動堰化」だった。これが時代の文化だったのだ。

日本全国の川がこのような時代を通り抜けてきた。新河川法のもとで,人と川の新しいかかわりがもとめられ始めたいま,江戸時代から続く日本最大の青石の堰,第十堰の価値にふたたび注目が集まるだろう。
そのとき,霞ヶ関の国交省はなお「第十堰は治水上支障になる」として,青石張りの可動堰でも提案するつもりなのだろうか。
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by himenom | 2005-10-19 22:53
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