10月10日(月)曇り 善入寺島で川の学校

今日は川の学校の今年最終日である。キャンプ地は吉野川中流の善入寺島。ここは吉野川最大の中州(日本最大ともいう)で,東西6キロ南北1.2キロもある。
 
 この島には,もとは3000人の人々が住んでいたが,明治42年,内務省大阪土木出張所長沖野忠雄は,全島を遊水地化する基本方針を発表し,大正年間に善入寺島は巨大な無人島となった。買収とはいえ先祖伝来の地から3千人を強制退去させるのであるから当時の内務省の権限はものすごいものだ。ふるさとを追われた住民は,遠く北海道まで移住した者も少なくなかったという。
 
 余談だが,徳島県と北海道は意外とつながりが深い。 有名なアリスファーム(本部は赤井川村)のある仁木町の名はこの島の近くから移住した仁木武吉の名前から取ったものだし,映画「北の零年」で,明治政府の命令で,北海道開拓に向かう渡辺謙と吉永小百合扮する稲田家一族の本拠地も,この島に近い脇町(現美馬市)である。 明治期の徳島県は,北海道への移住者数の西日本最大県らしいのだ。この穏和で保守的な県民性にしてなぜ,と不思議な気もする。 

 現在の善入寺島は広大な田畑となり,島の周りを竹林(水害防備林)が囲んでいる。洪水時は竹林が土砂の進入を食い止め,川の運んできた養分のみを畑にいただこうという仕掛けである。洪水が田畑にあふれるのを認めこれを積極的に活用するというのは,藍作りが生んだ吉野川独特のしたたかな治水の知恵であった。「蜂須賀藩の無堤防主義」とも言われた。川のなかとはいえこの仕組みがいまなお残されているのは貴重なものだ。

 北海道を連想させる広い畑はいい野菜ができるので有名だ。しかし農業後継者難で放棄地も出始めている。竹林の手入れも行き届かなくなっている。惜しいと思う。             「吉野川の恵みだけで作られる無農薬有機農法の善入寺島野菜」                   これはりっぱな吉野川ブランドになるはず。 夢をかける若者が出てくれないものか。

 今年5年が経った川の学校からはもう150人の川ガキが誕生した。かれらは,吉野川がまるで自分の川のように身近になったはずだ。リーダーの小畠チチは「これからは君たちがお父さんやお母さんを川につれて行きなさい。それができるのが川ガキです」と言った。
無人になって90年がすぎたこの島の広い河原から,ふたたびこどもたちの元気な声が聞こえ始めて5年。まだ小さいけれど確かな手応えを感じている。
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by himenom | 2005-10-11 02:22
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